渡辺幸男編著『日本と東アジアの産業集積研究』

日本と東アジア産業集積研究

日本と東アジア産業集積研究

 産業集積論の本。グローバル化が進展する中で、日本国内の産業集積がどのように変容するか、またアジアの産業集積がどのように形成されているかについて議論している。読むのにめちゃくちゃ時間がかかったな。一月ほどかかったんじゃなかろうか。
 だいたい、2003年から05年あたりの現地調査を元に書かれている本のため、ここからさらにリーマンショック、超円高、電機産業の敗北を経て、さらにどのように変わったのか気になる。熊本県の機械工業に関して扱った章に出てくる会社を探してみたが、倒産している会社が一社ある。あと、不明の企業がいくつか。鯖江のメガネフレームや堺の自転車産業なんかも、状況は厳しさを増しているだろうな。
 全体の構成は、第一部が全体の概説、学説史の整理、第二部が国内の産業集積のケーススタディ。山形・岩手・熊本の「将来展望を持っている企業」を中心とした聞き取り調査など。鯖江の眼鏡フレーム産業集積、愛知の陶磁器産地の模索、堺の自転車産業の状況、一村一品運動の流れが取り上げられる。第三部は東アジア地域の産業集積の形成について。天津の自転車産業の形成、売掛金などが「企業間信用」として利用されている状況、ラオスの縫製産業について。第四部は理論的な議論。ここはもうさっぱりでござる。
 熊本の機械産業集積形成の話、鯖江の眼鏡産業の構造変化、堺と天津の自転車産業集積のケーススタディが興味深かった。そもそも、熊本県って機械産業の基盤がほとんどなかったが、中央からの誘致工場との取引を通じ技術を蓄えた企業が見られること。また、これらの企業は九州全域の企業との関係をもち、「九州広域機械工業圏」が層が薄いながらも育ちつつあると指摘する。
 鯖江の眼鏡フレームの中国との競争と同時に、安売りチェーンの台頭、ブランド戦略で敗れてヨーロッパの有名ブランド製品の販売権がイタリアに持っていかれたのが大きな影響を与えているそうだ。製造卸や大手メーカーは、特に人手を要する組み立てなどの工程を中国に移している。一方、短納期小ロットの製品や高技術の製品は依然として国内に残っている。また技術のある部品メーカーは、他業種への進出を図りつつある。一方で企画力のない完成品メーカーや中小零細の部品加工業者は衰退しつつあり、産地の基盤が衰えつつある状況。
 堺の自転車産業の現況も興味深い。完成車は中国からの輸入に取って代わられつつあり、フレームを中心とする比較的技術レベルが低い部品の生産は減少、メーカーは他業種からの受注が主になりつつある。一方で、高技術の部品に関しては、世界的な企業に成長し、産地から自立した状況になりつつあるという。自転車の走行装置を手がけるシマノは有名だが、反射板のキャットアイも大きなシェアを保持するメーカーも存在するのだな。複数の国の安全規格に適合する金型技術が売りなのだそうで。また、自転車は部品メーカーが強く、完成車メーカーは相対的に弱いが、その完成車を供給する製造卸もセミオーダーや海外のパーツを供給するなど、形を変えつつあると。ちょっと疑問に思うのは、堺の自転車産業「集積」は、そのはじめから堺や関西の金属産業の影響下に発展したのではないだろうか。だからこそ、自転車生産が衰退する中で、部品メーカーがスムーズに他業種からの受注に移行できたのだと思う。むしろ、退場していったメーカーを追跡するべきなのではないだろうかと思った。
 中国、天津の自転車産業が、最初国有企業として形成され、それが競争の中で凋落。そこから流れ出た人材や技術が現在のさまざまな民営企業の源流になっていること。国営企業社会保障などの責務がありコストが高く、企業として純粋に競争がしにくいこと。などなど。


 以下、メモ:

 それゆえ、誘致された企業・工場が、立地環境の大きな変化の中で、誘致された先で発展展望を維持することは可能であるが、そのために必要な条件は、少なくともそれらの誘致された企業・工場の現地の責任者が、当該企業・工場の存立形態に関わらず、本来的な経営者といえるような裁量権を持ちうることであるということが言えそうである。p.101

 石川県の事例から、地方に進出した企業が環境変化の中で生き残り、適応していくには、現地の責任者に対応しうる裁量権が、最低限必要であるという話。ただの分工場は、環境の変化でさっさとたたまれてしまうと。ただ、これが2005年までの状況というのは注意が必要かも。それ以降、電機関係はさらに後退を重ねているし。

 また、ペダル式自転車についても上位メーカーではマグネシウム合金をフレームに用いた製品開発も行なわれている。p.294

 へえ。軽くて、振動吸収性が良いか。ぐぐると、ESRマグネシアってブランドが一番上に来るが、折りたたみ自転車の10キロってのは他の自転車と比べて軽いのかね。

周知のとおり、儒教には「信」の教えがある。また、民間には商売人が年末の10日間で今年度の全債務を清算する習慣がある。万が一、大晦日で徹夜でも完済できない場合、返済を続ける。その時、彼らは元日の昼になっても提灯を持って自らの時間がまだ大晦日であることを示す。p.305脚注

 昔の日本の大晦日と同じ感じなのかね。大晦日にツケの清算とかをやっていたわけだが。