芳賀ひらく『デジタル鳥瞰江戸の崖 東京の崖』

デジタル鳥瞰 江戸の崖 東京の崖 (The New Fifties)

デジタル鳥瞰 江戸の崖 東京の崖 (The New Fifties)

 題名通りの本。いろいろな題材を使って、東京の崖を描いている。いろいろな切り口があるものだな。単純に崖の成因の話だけではなく、文学と崖、動物、湧水、江戸城の盛土、土砂災害の問題、人工的な地形改変とそれにともなう新しい崖の出現などなど。意外とバラエティに富んでいて、退屈しなかった。
 終章の厚く積もった新しい地層の上に巨大都市が存在することの巨大なリスクを「崖」と呼んでいるのが、いや本当にとしか言いようがない。しかも、造成地とか、崖際の宅地開発でリスクが大きくなっている現状。まあ、日本の大きめの都市で、沖積層の上にない都市って、ものすごく少数派だと思うけど。
 あとは、沖積層の下に埋まっている段丘崖の話や神田山を切り崩した土砂の行方の問題とか、赤羽を中心とする急傾斜地崩壊危険箇所と区域の違いとか、樹木谷と葬送の場としての谷とか、いろいろと細かいところでおもしろい話が紹介されている。関東ローム層などの土の斜面のため、侵食が早いとか。


 以下、メモ:

 平成二一年度四月一日現在、東京都二三区の「急傾斜地崩壊危険箇所」の総数は五九二ヵ所(131ページ、図4)。数の多さでいえば、一番は港区の一一八ヵ所。逆にゼロは中央・墨田・江東・足立・葛飾・江戸川の六区。そこは沖積地や埋め立てで出来た土地だから、崖は存在し得ない。
 「急傾斜地崩壊危険箇所」とは、崩壊した場合に「人家や公共施設等に被害を生じる恐れがある箇所」のことで、崖崩れがあっても人的被害が生じる可能性が少ないところは省かれています。すなわち崖自体の数を示していないことは、第1章(8ページ)で言及した一九六九年度「東京山手台地におけるがけ・擁壁崩壊危険度の実態調査」の結果と同じ。
 この四〇年前の調査の結果では、二三区の「危険度大」の総数は二五一九ヵ所ですから四分の一以下に減少しています。斜面被覆整備が大幅に進んだ結果、危険な崖が減ったと喜びたいところですが、そうは問屋が卸さない。むしろ危険な崖は増えているといわれる。土木技術が進んだため、それまで都市における帯状の緑地として残されていた崖、つまり連続する急斜面に、旧来難しかった宅地開発が可能となり、また狭小な斜面下にも住宅が進出した結果、崖崩れの危険箇所は、逆に大幅に増えたはずなのです。それではどうしてこのような数字となったのか。
 ひとつには、崖とみなす高さの最低基準が、四〇年前は三メートルだったのに対し、平成二一年の調査では五メートルに引き上げられたことがあります。しかし、それだけでは説明がつかない。
 さらなる事情は、危険箇所抽出の基礎作業となる地図の縮尺が、一九六九年(昭和四四年度)の調査と二〇〇九年(平成二一年度)ではまったく違っていたのです。近年のものは、危険箇所抽出の基礎作業を二万五〇〇〇分の一の地形図で行っています。一方、一九六九年の調査では、昭和三〇年代に東京都建設局が整備した三〇〇〇分の一の地形図で作業を行っていた。つまり最新のデータは、初作業の段階で約四〇年前よりも記載がはるかに大まかな地図を用いていました。ことの不十分さを認識してか、都では現在整備されている二五〇〇分の一の地形図をもとにチェックし直していて、危険箇所数は大幅に増える見込みだというのです。
 都の二五〇〇分の一地形図は二〇年前には整備済みでしたから、どうして最初からそれを使わなかったか理解に苦しむ面がある。
 地形図の縮尺二万五〇〇〇分の一と二五〇〇分の一では一〇倍の違いがある。ただしそれは「長さ」で一〇倍なのであって、平面においてはその二乗、つまり一〇〇倍の情報量の違いとなるのです。p.128-9

 おおかた、宅地開発の規制緩和のためなんだろうな。時期的にも、土建で経済活性化とかやっていた時期だし。

 しかし、世田谷の国分寺崖線の一部に残されたイチリンソウやカタクリなどの絶滅危惧種板橋区赤塚四丁目から北区赤羽北二丁目までがみえかくれしながらつづく急傾斜地に出没するタヌキ、府中崖線下の水際になお子孫を残すマムシたちは、巨大都市に、一定の延長をもった「野生の回廊」がなお残されていることを語っているのでした。
 時に自然災害の原因となる「崖」や「崖線」は、むしろ人間と自然の間におかれた「DMZ」(緩衝地帯)として見なおされるべきなのです。p.172

 確かになあ。

 ここで仙台市近郊丘陵部にひろがる宅地造成地において、東日本大震災により起きた地滑り問題に触れておくことは、「東京」に寝起きする人にとっても無意味でないでしょう。ニュータウン流行の数十年前、山谷凹凸入り混じる一帯を切土と盛土で平坦にして売り出した丘陵宅造地は、一九七八年六月十二日の夕刻発生したマグニチュード七・四(強震)の宮城県沖地震により、ライフライン寸断箇所多数にのぼり、復旧は海側の沖積地にくらべてもはるかに遅くなったのです。しかしそれ以上に深刻だったのは、地滑りや地盤崩壊によって、住宅そのものを維持できなくなって転出する家や訴訟に踏み切る例が出現したことでした。地質学者の羽島謙三氏は、遺著となった『地盤災害』でこの件をとり上げ、丘陵地宅造地の被災についていわば予言めいた警告をしていたのですが、それは三十年あまりで現実のものとなったのです。
 すなわち、今回の被災でさらに広範囲に出現した地盤破砕によって、被災地は四〇三一件(山形大学村山良行教授、「河北新報」二〇一二年一月一〇日)にのぼり、いくつかの地区は集団移転まで検討せざると得ない事態に立ち至りました。p.200

 本当に盛土の土地の脆弱さはあきれるくらいだな。つーか、津波で高台に集団移転ってのも、下手すると今度は地盤災害に脆弱になりかねない。