池谷浩『土砂災害から命を守る:知っておくべきこと+なすべきこと』

土砂災害から命を守る 知っておくべきこと+なすべきこと

土砂災害から命を守る 知っておくべきこと+なすべきこと

 2011年以降の比較的最近の土砂災害の事例を中心に、土砂災害がどのように起きるか。そして、土砂災害から身を守るためには、どのような準備が必要かを紹介する。
 前半は、土砂災害の類型とどのように起きたかの紹介。豪雨によって起こる土石流ばなりではなく、地震にともなって発生する地滑りとそれに伴う天然ダム、火山噴火による火砕流火山泥流、火山灰による土石流、山体崩壊と、各種の土砂災害を網羅して紹介している。また、都市部でも土砂災害とは無縁ではないことを、広島の昨年の災害などを例に紹介している。都市部の土砂災害で紹介されている都市が、広島を除けば、長崎、神戸、横浜と幕末の開港場であるのが興味深いな。港に適した地形は、都市のスプロール的拡大が進むと、傾斜地が多くなってしまうということなのだろうか。六甲山系は花崗岩で、神戸が山に向かって居住地を拡大した結果、危険を増しているという指摘が恐ろしいな。実際、阪神大震災では大規模な土砂災害で犠牲者が出ているしな。
 あとは、日本が造山活動で比較的新しい地質で傾斜が厳しいこと。さらに、短期間に激しい降雨が起こる気候であることが、日本を土砂災害の危険が多い国にしているという話も。


 後半は、土石流に対してどのような対策をとるかという話。結局、平時から、自分が住んでいる場所ではどのような災害が起こりうるか、きっちり調べて、危険性のある気象の時には早期に避難することにつきてしまうような。特に、本書では、「公助」の限界を強調するだけに。そして、そのような意識を、隅々まで行き渡らせるのは、果てしなく難しそうなことも、また、感じてしまう。特に前半、避難勧告などが手遅れで発令されることが多いこと、防災意識が高い土地でも虚を突かれれば犠牲者が出ること、危険性を感じた時には逃げるに逃げられない状況になっていることが多いなどの状況を知るにつけ。地形と居住状況を考慮して、避難情報などの範囲を細分化(集落とか、校区レベルくらいかな)。雨量計をあちこちに配備して、24時間積算雨量が、300ミリを超えた、ないしはそれが予測できる時のような、避難情報の発令にある程度明確な基準を作る。正常化バイアスを超えるには、そういう対策が必要なのではないだろうか。稲泉連『ドキュメント豪雨災害』でも、2011年の紀伊半島の台風で、危険を感じたころには、逃げる場所がなくなっていたという証言もある。「早めに」だけでは、タイミングをつかめないのではないだろうか。
 ハザードマップの効用と限界も興味深い。結局、それによって住民の意識を変えられなければ、それそのものには意味がないと。ハザードマップの失敗事例として、コロンビアのネバド・デル・ルイス火山の火山泥流災害の事例が紹介されている。ハザードマップは作成したものの、それをもとにした住民の避難体制の構築まで行かなかったこと。結果、2万5000人の死者を出す大惨事になってしまったという。特に、アルメロという町は、堆積物におおわれ、現地再建を諦め、離れたところに再建するはめになったという。この町をグーグルマップの衛星写真でみたけど、一目見てあかんってかんじだったな。見事な扇状地で、大量の土砂が流れ込めば、大惨事不可避としか。巨大な砂防ダム造るくらいしか被害を防ぐ手段はなかったのではなかろうか。
 砂防堰堤をはじめとする、ハードによる土砂災害防止策についての項も興味深い。ハード対策が、下流の人々の財産や生活を守り、経済効果の高いと。満杯になった砂防ダムも、土砂の流下をコントロールする機能があること。地すべり対策や砂防山腹工の紹介。大きな土砂や流木を防ぐオープンタイプの堰堤の効果。
 第二章の「命を守るために何をすべきか」は、微妙な感じが。ここまでリソースを割ける家庭はあまりないんじゃないだろうか。知り合いに火山学者や市の防災担当者がいる人ってあまりいないと思うのだが。


 以下、メモ:

 このように防災意識を持った住民の方でも、今回の災害を完全に防ぎきれませんでした。
 その理由としては、今回の災害で発生した前兆現象が過去の言い伝えによるものと異なっていたことや、過去の災害は少なくとも四〇年以上も前の出来事のため、前兆現象を文字情報として理解していても、現実に起こる現象として理解することが難しかったのではないかと思われます。そのため、振動や音には気付いたものの、それが土石流災害につながると捉えることができなかったのでしょう。p.14

 2014年に長野県南木曽町で発生した土石流災害と地元の防災意識。なんども土石流災害に襲われ、言い伝えや石碑などで、土石流の危険性を知っていたこと。ここで、ダメなら、どこもダメだろう。つまるところ、言い伝えなどの文字情報に頼る災害情報の伝達には限界があると。

 雨の降り方がこれまでと変わってきて、いつどこで大きな雨が降るか分からない状況下の我が国では、もう一度、自分のところが大雨の時に危険となる区域ではないかということを平時に調べてみることが大切です。p.36

 それはそうなんだけど、意外と難しいよねと。

 例えば、全国の県庁所在地には、約五万四〇〇〇箇所も土砂災害危険箇所があります。とくに危険箇所の多い三都市は表4-1のようです。なかでも土砂災害危険箇所が最も多く存在する広島市では、土石流の危険渓流二四〇二渓流、地すべり危険箇所四箇所、そしてがけ崩れの危険箇所が三六三四箇所もあるのです。p.60-61

 広島、山口、静岡のトップ3で、二割。トップの広島市で1割か。広島の土砂災害の危険度は突出しているな。基本的に、中国山地は、九州南部のシラス台地と同様に脆弱と考えるべきなんだろうな。

 一方、六甲山の緑は古い時代からのものでないことを知っている人は少ないのではないでしょうか。神戸市が編纂した『新版神戸市史』によりますと、豊臣秀吉による大阪城築城の石材採取やその後、地元住民に対して樹木の伐採を自由に許可したことから森林は破壊され、一七八八(天明八)年頃には住吉川から降雨のたびにおびただしい土砂が流れ出して、下流で被害を与えていたことが記録されています。
 一八八一(明治一四)年四月、植物学の研究を志して郷里の高知を出発した牧野富太郎博士は、船で神戸市に向かいましたが、その船上で見た六甲山の印象を「はじめは雪が積もっているのかと思った」と手記に記しています。花崗岩の禿げ山が陽の光に反射して、遠くからは白い雪のように見えたに違いありません。また一八八三(明治一六)年に政府から派遣され、兵庫県を視察した地方巡察使槙村正直は「六甲山から土砂が流出し、山は骨と皮だけになっており、その骨と皮も崩れつつある」と報告していました。その六甲山の麓では一八九二(明治二五)年、一八九六(明治二九)年と土砂災害を受け、禿げ山対策の必要性が叫ばれたのです。p.70

 100年ほど前まで、六甲山地は禿山だったと。いのししが増えまくっている現在からは想像もつかないな。花崗岩がむき出しで真っ白に見えたってどんだけ…
 まあ、近世には酒造業が発達したような土地柄だし、燃料採取の圧力は大きかったのだろうな。

 まず、道路のほとんどは通行不能となるでしょう。東京はみなさんが思っているよりもずっと坂の多い街です。坂道では数cmといわず一〜二cmでも火山灰が積もると車はスリップを起こします。雨が加わるともっと悲惨になります。高速道路でも四〜五cmの火山灰で通行不能となるでしょう。道路がだめなら鉄道はと考える方もおられると思います。しかし、鉄道も線路に火山灰が堆積することにより、ポイントの切り替え出来なくなったり、電気系統の不具合が生じたりして、通常の通行がなされることはないでしょう。p.74

 1センチ積もるって、結構激しい噴火だと思うけど。雲仙普賢岳火砕流の時、熊本では、1センチに達したかなあ。しかし、舗装も良し悪しだな。坂が火山灰でおおわれたら、歩く人も難渋するんじゃね。

 土砂災害のとくに危険な区域(土砂災害特別警戒区域等と言います)に既にある住家に対しては、安全なところに移転するなどの対策もとられるようになっています。現在、国土交通省の調べでは土石流、地すべりおよびがけ崩れの危険のある箇所約五三万箇所のうち、土砂災害警戒区域の指定済み箇所は約三五万箇所(二〇一四年四月末現在)となっていて、まだすべての危険箇所が土砂災害警戒区域等として公表されているわけではありません。p.133

 「土砂災害警戒区域」ね。後で調べよう。