熊本大学附属図書館貴重資料展の講演を聴きに行く

 熊本市内では、あちこちで学園祭。残念ながら、今年は雨模様で、売り上げはきつそうだな。熊大の学園祭にともなって、毎年行われている熊大図書館の貴重資料展に出撃。仕方ないので、今年はバスで。
 今年の貴重資料展示のテーマは起請文。細川家文書には、早い段階から、家臣から差し出された起請文が残っている。これを読んでいくと、何がわかるかという話。稲葉先生の講演を聞く。今年の講演は、例年と違って、図書館一階のラーニングコモンズを使用。広々として、ゆったりと座れて、非常に良かった。来年以降もこれを継続して欲しい。確認せずに、NHK学園の三階まで行った人がここに…
 家臣が職務上の遵守事項を宣誓するだけだろうと思っていたが、意外に生々しいデータが。家老や家臣たちが、自己の職務に対する経験や思想を盛り込んでいる。
 また、永青文庫には、200通以上の起請文が残っているが、その4割程度が17世紀の第2四半世紀に集中している。これは、忠利・光尚の藩主家と忠興の隠居家の緊張関係を反映しているという。忠興は隠居後、中津城、八代城と、領内に独自の所領と家臣団を維持し、自立的な統治を行おうとする。さらに、忠利の弟立孝に隠居領を相続させ、自身の所領と共に、直接徳川家から朱印状をもらう独立した大名になろうと画策。これらの行きがかりもあって、家老以下忠利の家臣団と修復不能なまでの感情的な対立関係に陥る。忠利の急死は、この危機を顕在化させるが、このときは光尚が一括相続を言い渡されて、回避されている。しかし、この緊張関係は継続し、1645年に立孝と忠興が相次いで死去するまで継続している。
 細川家分裂の危機の中、忠利に仕える家臣が、忠興と通じない旨の起請文を多数差し出している。忠興の実子であり、筆頭家老松井家の養子に入った松井寄之がストレスで体調を崩して、仕事ができなくなっていたりと、忠興と縁の深い人物は、なかなか微妙な立場に立たされたようだ。また、忠興との感情的な対立関係を洗いざらいぶっちゃけた沢村大学の起請文、そして嫌がらせっぽい忠興からの借金取立て書状がおもしろかった。
 最終的に、忠興隠居領は解体されるが、それにともなって忠興に仕えてきた家臣たちは、多くが、細川家を去ることになる。忠興隠居領の家老村上影則が出した暇伺いのが紹介されているが、戦国時代の遺風を強く残した忠興の家臣団では、主従の人格的関係が重視されていたこと。一方、忠利・光尚家中では、統一的な家臣団、さらに領民をも含みこんだ「御国家」に対する奉公が重視される。後者は近世的な大名のあり方を示していて、細川家中では、それが忠興隠居家との緊張関係の中で形成されたと指摘する。このような、「御国家」に奉公するという近世の大名家臣団のあり方が、幕藩体制の長期的安定を生んだこと。これは、16-17世紀に起こった「世界史の近世化」という動向に沿った動きであるというのが興味深い。


 途中、それぞれの職業後との起請文も紹介されるが、奉行や国境の惣庄屋などが他所に情報を漏らさない、あるいは毒見がきっちりと料理人に毒見させますと、具体的な仕事や重要視されたことが明らかになるのは興味深いな。あと、小姓衆の兵法指南に雇われた磯野治兵衛信光の「小姓衆に手を出しません」の起請文がなんとも。