今年印象に残った本2021(一般部門)

 今年は意外と読んでない。あと、読んだけど読書ノートが間に合ってない本がたくさんあるので、選ぶのは楽だった。

10位 川田伸一郎『標本バカ』

標本バカ

標本バカ

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 国立科学博物館で哺乳類標本を集めまくっている人のエッセイ集。同じ種類でも、たくさん標本があることに意義がある。あるいは、事故死体や動物園の飼育個体の死亡、海獣の漂着など、偶然性に左右されてスケジュールが立てにくい生活。日常の中に眠る資料。動物学の歴史などなど。

9位 林千寿『家老の忠義:大名細川家存続の秘訣』

 戦国時代の私的な紐帯で組織された家臣団から、近世の公的な団体へと変わっていく過渡期、藤孝から綱利に至る5代の肥後細川家を支え続けた筆頭家老松井康之・興長父子を描いた本。軍事指揮から外交まで、なんでもござれの康之がすごいなあ。
 秀吉死後の過渡期に、細川家の没落を防ぎ、忠興・忠利の対立に際しても当主を揺るぎなく支えた松井家の存在は大きいのだな。
 ストーリーを単純にするために、だいぶ事実解釈が強く行われている感じはあるが。

8位 岸本充弘編『戦前期南氷洋捕鯨の航跡:マルハ創業者・中部家資料から』

 大洋漁業の創業者一族の家に残された1940-41年シーズンの南氷洋捕鯨船団の船団長の日誌を翻刻・解説している本。
 船団を仕立てて遠征するとなると、相当の量を取らないと赤字になってしまう。さらには、近隣には他の船団がうろちょろする。捕獲したクジラには目印を付けて流すため、見失ったり、揉めたり。鯨油が戦略物資だったり、開戦直前で燃料補給に苦労する姿などなど。

7位 今田洋三『江戸の本屋さん:近世文化史の側面』

 ずいぶん前の著作だけど、版元の変遷や読者などにも目を配った近世書物史の通史。
 上方の版元が、商業的に出版物を生産する出版業を形成。京都の学問的な本から大阪の文学的達成。一方で、ハウツウものが重要であったこと。その後の江戸での出版業の発展と上方版元の出店との競争。そして、文化プロデュース。
 読者に関しても目配りされているのがおもしろい。

6位 永田龍太『中世ヨーロッパの武術』

 残された当時の武術書などから、剣術を中心とした武術復元、紹介する本。
 鎧、特に板金鎧の防御力は圧倒的なんだなあ。それに対抗するために、武術も変化した。脇や面の隙間などを刺突する、投げ飛ばす、鈍器でぶん殴る。半身で相手に対するのと、円形に巻き取ったりするのが特徴なのかな。様々な武器が存在し、国ごとに技法が違ったり。
 レイピアのイメージも、なかなか違って興味深い。

5位 郡司芽久『キリン解剖記』

 キリンの解剖学的研究を一般向けに紹介する本。サクサク読めて、大型生物の解剖学がどういう現場かを知ることができる。
 大型動物になると国内の動物園からの献体が必要になるから、予定が立たなくなる。あるいは、輸送の都合から四肢や首を外して輸送するから、それが逆に、キリンの首の付け根の構造を明らかにするのを遅らせた。
 こうしてみると、著名な生き物でも明らかになっていないことは多いのだな。あと、内臓はともかく、筋肉の研究はあんまり注目をされないのだろうか。

4位 加藤祐三軽石:海底火山からのメッセージ』

 福徳岡ノ場から噴出した軽石の漂着騒動で、興味を持った本。
 1924年西表海底火山噴火と噴出軽石のエピソード、1986年福徳岡ノ場噴火とその軽石のエピソードなど。大量の軽石漂着というのは、しばしばある事件なのだな。
 どうやって研究するのかと思ったら、比重とか、成分とか、いろいろと手がかりがあるのだなあ。

3位 日下雅義『平野が語る日本史』

 表層地質や微地形、史料、考古学の発掘成果をあわせて、歴史時代の平野の変動を検証している本。今、大都市になってるところも1000年前には海底だったところが多いんだよなあ。1000年程度で激変していることが学べる。
 古代の段階で、段丘開発でけっこう大きな水路開発が行われているとか、河川が流路を変えながら平野を埋めていく痕跡、あふれる水にどう対抗しているかなどなど。

2位 川田伸一郎『アラン・オーストンの標本ラベル:幕末から明治、海を渡ったニッポンの動物たち』

 明治時代、商社員として来日し、かたわらで生物標本の採集者を雇って、採集、各地の博物館や収集家に売っていたアラン・オーストンの足跡と、どこでどんなものを採集したのか。日本や英米などの大博物館に残る標本のラベルなどを手がかりに追いかける。もっと小規模に似たようなことをやったことがあるけど、このクラスの人になるとそれなりの追っかけられるのだな。英米の自然史系博物館では、関連資料として、手紙などの文書がきっちり保管されているのがうらやましいところ。
 

1位 田中創『ローマ史再考:なぜ「首都」コンスタンティノープルが生まれたのか』

 コンスタンティノープルの成長とともに、ローマにしがみつかない帝国統治システムが整備されていって、帝国が変貌していくお話。コンスタンティヌス朝ウァレンティニアヌス朝の時代には、複数の皇帝による分割統治が行われ、皇帝たちは直轄軍を率いて各地を移動していた。逆に、各地を移動することで、帝国各地の都市と縁を結ぶことができた。
 しかし、テオドシウス朝以降になると、元老院儀礼の整備によって、コンスタンティノープルが利害調整の場として機能するようになる。
 一方で、ローマは前線から外れた場であったため、元老院議員とガリアの貴族、北イタリアの宮廷や軍団が連携する場が作られず、短期間で分解してしまうことになった。