岸本充弘編『戦前期南氷洋捕鯨の航跡:マルハ創業者・中部家資料から』

戦前期南氷洋捕鯨の航跡:マルハ創業者・中部家資料から

戦前期南氷洋捕鯨の航跡:マルハ創業者・中部家資料から

  • 作者:岸本 充弘
  • 発売日: 2020/06/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 太平洋戦争直前、1940年末から1941年初頭のシーズンの事業日誌を中心に、林兼産業・大洋漁業の創業者中部家に残った戦前捕鯨資料を紹介する本。1982年の捕鯨モラトリアム以降、各水産会社の捕鯨に関する資料は処分されてしまっていたとされていたが、大洋漁業(現マルハニチロ)の経営者一族であった中部家には、それらの生資料が残されていた。
 本書は、その中から1940/41シーズンに事業部長(船団長)として南極に赴いた中部利三郎の「漁場日誌」の紹介と現代語訳、翻刻を中心に、その他の中部家資料をめぐる小文をまとめた本。もともとは大学の出版物に載せたものを集めたのかな。


 中心はやはり漁場日誌。毎日の捕獲量に一喜一憂する姿が印象深い。総トン数1万7千トンの母船に、キャッチャーボートが8隻、総勢529人が関わる事業となれば、ちょっとやそっとの漁獲では黒字にならないわけか。鯨の群れがどう動いているか、情報を蓄積しながら動いているのが印象深い。とはいえ、しかし、毎年1700頭、鯨油18000トンってすごい数字だな。この規模の船団が日本だけで毎年6船団出漁して、他にイギリスやノルウェーの船団がもっとたくさんいるとなれば、戦前の段階で南氷洋の鯨資源が枯渇するのは当然だよなあ。再生産に時間がかかる生物だし。逆に、それだけ持ちこたえるだけの鯨を養う南氷洋のオキアミ資源の膨大さに感嘆すべきか…
 ロス海からその西にかけてを右往左往する複数の母船団がいて、それを警戒する姿。


 日誌における関心の度合いからも、この時期の南氷洋捕鯨が鯨油の獲得を主目的としていたことが分かる。一方で、海軍需品部から、冷凍・塩蔵の鯨肉を発注されたため、国際関係の緊迫にもかかわらず出漁が行われた。ということは、太平洋戦争において、軍艦での食事に鯨肉の占める割合、けっこう多かったのかねえ。日誌における「ミール」というのは肉骨粉の類いなのかな。他に塩漬け、冷凍両者の鯨肉、肝油、髭や歯といった物が「副産物」として挙げられている。1700頭も獲ると竜涎香を持った個体もそれなりにいる、と。
 昭和15年から16年の3月までということで、緊迫する国際情勢も見える。ABCD包囲網の影響があって、行きのバリクパパン、帰りのタラカン双方とも、燃料補給に苦労している。行きは横浜正金銀行の信用状が使えなくて、ニューヨークで三菱商事から現金を支払って、やっと補給ができて、数日の滞在を強いられている。また、オーストラリア近海では哨戒機の接触や艦船がチェックに来たり。
 メルボルンの南バス海峡で商船が触雷沈没している警戒情報が載せられている(p.90)が、これドイツのUボートあたりが設置したのかな。ジャワ島のスンダ海峡に機雷敷設中という情報も出されているし。


 職長による前貸付金の問題など、内部統制に悩んでいる姿も印象深い。


 第二章は「中部家資料から戦前の南氷洋捕鯨を辿る」ということで、1936/7年捕鯨用海図、1938年度鯨油製造日計表、1937年鯨油製造統計表、日新丸積量図、『海洋漁業』誌の中部利三郎講演などの資料が紹介される。
 国際商品としての鯨油生産が戦前の南氷洋捕鯨の採算の基準であったこと、日本船団の技術では一頭あたりの搾油量がヨーロッパ諸国に比べて劣っていたことや鯨油市場のだぶつき気味な姿などが見える。
 鯨油って高級潤滑油の材料になるのね。戦略物資としての性格があった。あとは石鹸の原料として、現在も国内生産が行われているとか、マーガリンの原料に利用されたり。マッコウクジラシロナガスクジラの類いで成分が違っていて、利用法が異なっていたらしいとも。


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 本書の主人公中部利三郎のページ。


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 キャッチャーボートって、総トン数数百トンの船で地球を縦断するんだから大変だよなあ。


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 中部一族、今も影響力を維持しているのか。
 中部家全体に関しては菊地浩之『日本の地方財閥30家』の「マルハの中部家」(p.189-195)に詳しい。大阪への鮮魚輸送に内燃機関を設置した高速船を導入して基礎を築き、朝鮮漁場での漁業と鮮魚輸送で水産会社として発展。戦後も東シナ海方面は米ソの利権とあまり関係なかったので漁業権益をあまり損なわれなかった。その後、遠洋漁業の衰退とともに水産商社化。現在はマルハニチロとなっている。一応、現在も社外取締役に一族が残っていると。他に林兼商店や大東通商など。

www.shimonoseki-cu.ac.jp
 下関市立大学鯨資料室について。


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