くまもと文学・歴史館企画展「『新青年』創刊100年:編集長・乾信一郎と横溝正史」

 戦前に、探偵小説の流行を牽引した「新青年」誌の編集長を務め、同時に探偵小説の翻訳紹介、ユーモア小説などの著作をものした乾信一郎関係資料を中心とした企画展。シアトル生まれ、城南町の旧家出身という縁で、「新青年」誌で知り合い、親交を続けた推理小説家の書簡類や大好きだった猫グッズ、原稿などが展示される。
 海外の探偵小説の翻訳を「新青年」編集部にもち込んだ縁で、コラムや自作の小説、翻訳などを書くようになり、編集部に入って、1938年ごろには編集長になっている。そのもち込んだときの編集長が横溝正史だったという。それ以来の親交だったわけか。


 日中戦争で社会全体が戦時体制に傾く中で、時局におもねる社長と対立して、会社を辞める。その後、軍需工業の町工場を経営して糊口をしのいだというが、その工場はどうなったんだろう。
 前半は、「青いノート」、「コロの物語」、「ジョージ元気で」、「キャンディの冒険」といったNHKのラジオドラマの脚本の原稿・台本、そして、「敬天寮の君子たち」、「小さな庭の小さなウォッチング」、「『新青年』の頃」の原稿、エラリー・クイーンアガサ・クリスティといった翻訳した本が展示。
 戦前から推理小説に注目して、翻訳紹介する人びとが存在し、それらの影響の元日本でも推理小説を書く人々が出現していたのだな。国会議員を叔父に持ち、親はアメリカで仕事をし、大学まで進学できる乾信一郎は、このような時流にアクセスしやすかったわけか。


 後半は、乾信一郎が受け取った書簡類の展示。昭和20年代前半の書簡が紹介される。
 半分は、『新青年』誌の編集で知り合った作家たちの書簡。海野十三城昌幸獅子文六伊馬春部の書簡が紹介される。
 残り半分は横溝正史の著作と受け取った書簡。昭和20年代から50年代にかけての240通が残るが、そのうち昭和20年から23年の6通を紹介。残りは、来年の「横溝正史」展で紹介されるようだ。後々まで親交があったのだな。
 戦時体制で探偵小説が禁止されていた状況で、横溝に捕物帖を書いてはどうかと示唆したのが、この乾信一郎らしい。で、「人形佐七捕物帖」が誕生したという。その旨を記した献本が複数展示されていた。


 あちこちに分散しておかれていた猫の人形や置物がすごい。かなりコレクションしていたのだな。箸置きやその程度の陶器の人形から、高さ10センチ程度の前衛的なものまで。絵はがきや画像類などが。乾信一郎猫コレクションを中心に、「文学と猫」的なテーマもできそうだなあw


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