寺島孝一『アスファルトの下の江戸:住まいと暮らし』

 考古学的な発掘成果と随筆などの文字史料から、江戸時代の生活のこまごまとした物について、明らかにしている。住居や食器、食事、道具類、玩具などについて。前半を中心に、考古遺物より随筆からの検証が中心になっているのが物足りない感。あと、江戸時代を持ち上げての現代社会批判が少々くどい。
 住居に関しては、2テーマ。蠣殻屋根の話と江戸の庶民の住居について。
 江戸時代中盤に蠣殻で屋根が葺かれ、それが防火対策として幕府に一定程度認められていたという話。18世紀を中心に比較的広く普及したと思われるが、絵画史料ではそれらしきものがほとんどなく、遺跡からも発掘されていなくて、どういうものだったかよく分からないという。
 後半は、住居の話。関西出身者からは「キリギリスの籠」と揶揄されるような住居であったという。幕府は防火のために、瓦屋根や漆喰塗りの建物の建設を要求し続けるが、木材価格の高騰もあって、裏の長屋などは非常に粗末なものであり続けたと。火災で焼けた礎石に残る痕跡からは、柱が6センチ角の材木で作られていたという。


 続いては食器の話。「丼」と割り箸。
 江戸時代には、現在では大鉢と呼ばれるようなスタイルの食器が「丼」と称されていた。酒宴で酒の肴を盛り、昼は菓子を盛った。コース料理にも使われるもので、大商人などの家では、高価な「丼」を買い求めていた。一方で、低級な使い方としては、蕎麦の屋台の器としても使われた。しかし、18世紀後半にウナギの蒲焼が出現し、うな丼が普及するなか、「丼」の意味内容が変容し、ご飯の上にさまざまなものを盛る現在の意味で、「丼」が使われるようになったという。身近な食器も、歴史があるんだな。
 もう一つは、割り箸。高級な仕出し屋が清潔感と高級感を出すために使用を始め、それが安い店にも広まったと。しかし、江戸時代を通して珍しいものであり続けたと。使用済みの割り箸は、箸屋に渡され、削って普通の箸に加工されたというのも興味深い。また、大名屋敷の公式の宴会などでは、白木を粗く削った箸が一気に廃棄された遺物が発掘されるのだとか。


 三番目は食生活。前半は、文献史料からどういう食生活を送っていたか、後半は出土遺物からどのような食材が消費されていたか。
 日常の食生活の質素さ。飯を炊くのは1日1回で、関西では昼に、江戸では朝炊く。残りは冷えた飯を、粥にしたり茶漬けにしたり。昼には煮物などのおかずが付いて、朝夜は香の物で済ますと。で、エネルギーも栄養も、米から得ていた。1日5合ほどを消費していたと。こういう状況だから、精米が主体だった都市部では、脚気の患者が出るんだよな。あと、冷蔵庫がない時代は、塩蔵品が多かっただろうから、高血圧が問題だったんだよな。
 後半は、出土遺物からの食生活。遺物として残りやすい、残りにくいがあるので、どうしても偏りが出てくる。やはり動物の骨が残りやすい。あとは、植物については種などが主体。根菜類や海藻類は腐りやすいので、わからないと。家禽類が肉を食用にするのではなく、卵を入手するために飼われていたこと。犬や猫は、全身の骨格が出てくるので、食用にされていなかっただろうとか。野犬の危険性とか。


 四番目は道具として、硯と下駄、碁石を紹介。このあたり、出土遺物主体の議論で良いな。
 硯が消耗品として、中央部に穴が開くほど使われていたこと。あとは、文献に見える名産地。下駄について、差し歯の下駄が主流で、歯が台形のものが出土している。一橋高校の敷地での発掘調査から、大量の下駄が見つかっているそうだ。明暦三年(1657)の火災の焼け土の層の下からは差し歯の下駄が、上からは一体で削りだした駒下駄の数が多くなるという。時代による変化が興味深い。遊具については、碁石が多数出土する。黒は石で、白はハマグリの殻なのだそうだが、江戸時代の碁石の場合、素焼きの土器が多いそうな。


 最後は玩具。泥メンコとベーゴマ。
 古くから「穴一」や「面打」と呼ばれる穴を狙って投げたり、当てたりする遊びが行われていた。しかし、これは銭を使った賭け遊びに転化しやすく、幕府から度々禁令を出され、近代に入っても賭け事と忌避された。しかし、この種の遊びは根強く生き残った。泥メンコは紋章や文字などの文様のものが発掘されている。習志野の畑などでよく見つかるというのが興味深いな。禁令を受けて、一括して便所に廃棄されたのではないかと指摘されている。また、泥メンコは型から抜いたものを簡単に焼いたもので、出来の精粗から、さまざまな人々が生産に関わったと推測されている。近代にはいり、鉛から紙へと材質が変わり、ひっくり返す遊びに変わっていく。一方、穴一的な遊び方は、ビー玉に引き継がれたという。
 ベーゴマに関しては、巻貝のとがった部分を切り出し、鉛を詰めたものが起源だった。しかし、泥メンコと比べると、格段に手間隙がかかったものであり、高価であった。結果として、ほとんど発掘事例が存在しないという。ごく廉価な泥メンコと比べると、高価な貝独楽は、ごく限られた層にしか普及しなかったのではないかとする。
 しかし、泥メンコという子供の他愛のない遊びが、賭け事に転化して、幕府の禁制を受けるという大げささがおもしろいな。