高橋秀樹・共同通信社原発事故取材班『全電源喪失の記憶:証言・福島第1原発――1000日の真実』

 昨年、新聞に連載されていたものをまとめた本。東日本大震災後、福島第一原発で事故対応を行った人々へのインタビューを元に再構成されたもの。全体として、50代の管理職や現場の責任者クラスの人が多い印象か。一応、切り抜いて集めていたのだが、本の方が読みやすいし、抜けがないからということで、こっちを読んだ。
 しかし、こうして福島第一原発の原子炉から、放射性物質が漏れた過程を見ると、本当に過酷事故に対する準備が全然できていなかったのだなとしか言いようがない。官邸と東京電力の指揮系統の混乱とか、オフサイトセンターって何のためにあるのとか、制御室内からは爆発などの外部の状況が見えにくいとか。あと、配管の弁の開閉がきかなくなって、それで時間を食っているが、このあたりはなんらかの対応策ないのかね。ベントの配管は、比較的簡単な操作で開くようにしないといけないのでは。
 過酷事故時の給養の問題も。事故対応に当たっていた人々が、ろくな食糧もない状況が描かれるが、このあたりもどういう風に準備がなされ、どう運用されたのだろうか。数千人が、数日泊まりこんで作業するわけだから、数万食分を備蓄し、放射性物質が漏れたときにも汚染されないように収納配布体制を構築しなければいけない。それは、なかなか難しそう。
 15日未明の二号機から放射性物質が漏れ出した段階では、もはや打つ手がなくなっていた状況にゾッとする。「ただ祈るだけだと吉田は思っていた」(p.248)って。実際、ごく一部の決死隊を残して、職員は退避しているわけだし、「全面撤退」に近い雰囲気だよな。最終的に、二号機からの放射性物質放出量が比較的少なくて、全面撤退のような事態は避けられたわけだけど。
 本書は、第一原発の幹部や現場の班長クラスの「前線」の人々からの聞き取りから構成されていて、現場の人々の思いや苦闘が、臨場感を持って再現されている。一方で、東京電力の本店は、危機意識のなさというか、現場との温度差が強調されている。だいたい、どのドキュメンタリーでも悪役というか。この、危機が進行していた時点で、本店側はどんな状況だったのかが気になってきた。複数の発電所津波の直撃を受ける、首都圏の送電網の回復、機材の手配とてんやわんやだったはずだが。
 あと、作業員の健康被害はどうなっているんだろうな。累積で100ミリシーベルトクラスの被爆をしている人は多数にのぼりそうだが。→東電福島第一原発作業員の被ばく線量管理の対応と現状


 以下、メモ:

 1号機以降、東電はこの土地に次々と原子炉を建造していった。79年に6号機が運転開始した以降も、双葉町側に7、8号機の増設を計画していた。1ヵ所に何基もの原子炉を集中立地させることは送電系統、地元対策費などのコスト面を考えると、電力事業者にとって実に魅力的だ。実際、東電は福島第2原発で4基、柏崎刈羽原発で7基を集中立地させている。デメリットがあるとすれば、ひとたび過酷事故が起こると、最初は1基だけの事故であっても進展によっては隣接するほかの原子炉まで巻き添えを食う可能性が高いことだが、この点が顧みられることはなかった。
 第1原発がある土地はもともと海抜30メートル以上の切り立った崖だった。東電は海水ポンプなどの設備を置く護岸区域を海抜4メートルまで、1〜4号機の原子炉建屋を置く区域を海抜10メートルまで削って低くした。5、6号機は海抜13メートルとやや高い場所に設置された。それぞれの高さは、2次冷却用の海水の取水のしやすさや、維持管理のための資材、原油などを海上輸送して陸揚げしやすくするために最適であろうとの判断から決められた。もちろん津波や台風時の高波対策として、高さ約10メートルの防潮堤も港湾につくった。東電は、これで安全が十分に確保されていると考えていた。あの日までは……。(p.14-5)

 集中立地の危険性。
 5、6号機は少し地盤が高い場所に設置されている。結果として、6号機の非常用ディーゼル発電機が一基生き残って、それで冷温停止に成功しているのだから、地盤高の設定は、結果として過小だったということだよなあ…

 1、2号機の制御室では、このAPDの到着を今か今かと待っていた。APDの設定は専用の装置でしか変えることができない。サービス建屋にも装置はあったが、電源がない。免震棟の装置で設定を変更したAPDが、突入チームの大量被ばくを防ぐためにどうしても必要だった。APD以外の装備では、保安班の住吉が突入チームの背負う空気ボンベを制御室に運び入れていた。80ミリシーベルト設定のAPDが届けば、突入に必要な装備が揃う。思いのほか時間がかかったのは、富田が懐中電灯を免震棟に忘れてきたせいだった。富田は暗闇の建屋内をまさに手さぐりで進んでいた。一つの灯りもない状態では、目をつぶっているのと変わりはなかった。p.109-110

 このあたりも、なんというか。
 とにかく原子力発電所では電源がとまってはいけない。なんとしても維持する体制が採られなければならない。そこのところが、東電は薄かったと。せめて、内陸にもう一つ発電機があったら、だいぶ違ったんじゃなかろうか。

 第1原発から5キロ離れたオフサイトセンターでも退避に向けた動きが進んでいた。放射性物質を遮断する設備がなく、施設内での線量が上昇していた。国は15日午前、オフサイトセンターを福島県庁(福島市)に移すことに決めた。p.277

 役立たずすぎる…