小林登志子『文明の誕生:メソポタミア、ローマ、そして日本へ』

 メソポタミアの粘土板文書の解読から、後の文明にあるものは、だいたいメソポタミア文明にあるという話。職業と身分の分化、暦と歴史記述、水陸の交通路整備、金属の利用、文字と文書、法、権威を示すための仕掛け、女性の地位、宗教儀礼などなど。こうして見ると、親近感を感じるな。一方で、現代社会からは、有用性が消えつつある都市の城壁と馬についてが、序章と終章で。こうやって一覧にすると、粘土板文書の残りの良さとか、出土文字史料によってかなり詳細に文化に立ち入ることができるのだなとか驚くばかり。この時代には、既に「図書館」が存在したようだし。あと、終章の馬の話が一番楽しそうだなとか思った。
 「職業名表」というのが出土して、職業が列挙されているのだが、それらに書かれた職業名は、生業なのか、それらを納入する代わりに特権が与えられた「役職」なのか。いろいろと、気になるな。その当時に、それがどういう意味を持っていたのかを問うのが、難しい。あと、列挙されている職業の最後に祓魔師というのがあって、中二心が刺激される。
 あとは、紛争解決の手段としての「法」。自力救済を否定して、賠償による解決を目指しているあたりで、日本やヨーロッパの中世より進んでいる気がする。そもそも、中世の日欧だと、容疑者を法廷に引っ張り出すために、下手すると戦争だったわけだし。
 定礎埋蔵物とか、個人神の話も、現在とかなりストレートにつながる感じで、人間の考えることは、あんまり変わらないなという感じが。

 前二四〇〇-前二二〇〇年頃には、限定的な暦が使われていたことが、ラガシュ市ほか各市から出土した粘土板文書から知ることができる。ラガシュ市出土のエミの会計簿には三〇以上のちがう月名が書かれていた。ラガシュ市はギルス地区、ラガシュ地区(現代名アル・ヒバ)ほかから構成されていたが、それぞれの地区で別個の暦が使われていたのである。p.62-3

 そりゃまた、面倒そうな。逆に言えば、月単位の時間が、生活に及ぼす影響が小さかったってことか。