中島淳『湿地帯中毒:身近な魚の自然史研究』

湿地帯中毒: 身近な魚の自然史研究 (フィールドの生物学)

湿地帯中毒: 身近な魚の自然史研究 (フィールドの生物学)

 淡水生物マニアが、大学に進学し、博士の学位を取って、行政機関の研究所でパーマネントな職を得るまで。学部から修士までの、行き当たりばったりさがすごいな。まあ、生物相手のフィールド研究って、こんな風に思いも寄らない方向に転がっていくものなのかもしれないが。
 著者は、最初から、かなり極まったマニアだよなあ。学部から修士にかけては、昆虫採集にかまけて、研究が進んでなかったとか、後のほうで出てくるが。学部時代は、九州の各地に昆虫採集遠征にでかけて、マニア雑誌に報文を書きまくる大学生活か。
あと、印象的なのは、淡水生態系が、人為的な開発の強い圧力を受けている姿。福岡市の那珂川が、水害対策で河川改修をうけまくっていて、かつての姿を失っている状況が紹介されるが、熊本でも白川が似たようなことになっているな。白川の生物多様性はそれによって、どう影響を受けているか。モニタリングしている人はいるのかな。あとは、圃場整備が大きな影響を与える。最初の章で取り上げられたカマツカが「普通種」でいられるのは、単純に、生息に必要な要素が少なくて、人工的な改変に強いからという。人間の改変に適応できる生物しか生き残らないと。


 最初は、博士課程まで。カマツカを研究対象に選んですったもんだする話。最終的に、福岡県の各水系の生物相の中での、カマツカの位置の研究や初期発生の研究などがものになったと。ある程度の規模の水系じゃないと、生息できない。卵は、沈んで岩場に張り付くタイプの卵を、水面近くで産んで、散布する。これは、自分たちで食べてしまうのを防ぐためではないか。卵は、広い気温範囲で、高い正常孵化率を誇り、環境変化に強い。環境によって、産卵などの行動をずらす。
 カマツカは、流水、砂底、岸際の浅い環境程度しか必要としないため、人間による環境改変に強いと。


 次は、スジシマドジョウの分類研究の話。日本国内に生息する生物で、正確な分類と学名付与が行われていないものは多いと。サザエに学名がついてなかった件が先日明らかになったが、似たようなことはあちこちであると。日本各地のスジシマドジョウの標本を収集。形態や遺伝子分析結果から、10種類に細分化したと。分類研究もなかなか難しいものなのだな。あと、ヨドコガタスジシマドジョウは絶滅の可能性が高いと。
 あとは、シマドジョウの新種命名の話とか。
 分類研究って、けっこう時間がかかる営みなのだな。


 最後は水生昆虫の話と、大学に入るまでとポスドク時代の活動。学部から修士時代の、昆虫狂時代など。黒魔術研究に凝った、中学生時代とかも、おもしろい。
 こういうフィールド系で研究者になるには、元から相当マニアである必要があるのかね。逆に言えば、生物と触れ合いにくい環境では、フィールド系研究者の供給元が細っていくということだろうなあ。


 以下、メモ:

 魚類では成熟したオスに婚姻色が出現する種も多く、特に系統的に近縁なツチフキやゼゼラでは繁殖期のオスはかなり派手な体色になる。しかし、カマツカのオスには婚姻色がまったく現れず、色ではメスとまったく変わらない。今回の観察でもメスに対して鰭を広げるというような視覚的なアピールや、複雑な配偶前行動は一切みられなかった。これらのことから、カマツカでは特定の形質を持ったオスがメスに選ばれる、という形の性選択が行われておらず、その繁殖戦略は「メスがなるべく多くのオスと交配して遺伝的に多様な受精卵を得る」、というものであると結論づけた。p.95

 特殊化より汎用性を選んだってことなのかな。

 また、実際に調査を進めていく過程で、九州の河川生物相には興味深い特徴があることがわかってきた。それは、およそ熊本県球磨川水系と宮崎県の五ヶ瀬川水系を結ぶ線の南北でその生物相が大きく異なるらしいことである。しかも、純淡水魚類やイシガイ目二枚貝類では南北で「種数」に大きな違いがみられる一方で、水生甲虫類では、種数にはあまり違いがなく、南北で「組成」が異なるらしいことがわかってきたのだ。その理由については九州の北部と南部の地史の違いや、阿蘇山霧島山による火山活動などに関連しているものと考えているが、まだ不明な点も多い。これらについては今後詳細に調べていきたい。p.235

 球磨川五ヶ瀬川の線なら、7300年前の鬼界カルデラの噴火が影響しているのではなかろうか。アレなら、九州南部に影響が限られる理由が説明できるし。時間的にも、比較的最近だから、顕著な差の理由も説明できるし。

 しかしそれらと並んで問題視されるべきは、生物の保全を目的とした放流行為である。例えばその地域から減ってしまったメダカなどの希少種を増やそうなどと言って、どこかからか持ってきたメダカを放流するような行為である。このような行為は在来の遺伝的集団を破壊するという問題があり、いったん遺伝的な汚染が起これば取り返しがつかない。しかも、希少種を増やすという目的で行われる放流行為の多くは善意で行われ、新聞などでも「良いこと」として捉えられることが多く非常にたちが悪い。そもそもその環境で減ってしまったというのであれば、その原因を解明せずに生き物を新たに投入しても増えるはずがないことは考えればわかるだろう。生き物が減ってしまった原因は乱獲によるものを除けば、「その種の生活史が回らなくなったから」に他ならない。生活史が回らなくなった状況でいくら生き物を投入しても増えるはずがないのである、生き物を増やすにはその生活史をよく理解し、その原因を突き止め、その問題を解決すればよいだけである。そして、状況が改善されれば、生き物は放流せずとも勝手に増えるのである。湿地帯を含む生態系の適切な取り扱いについては、知識のある人々が積極的に啓発していくことが近道であろう。p.240-1