鈴木将典『国衆の戦国史:遠江の百年戦争と「地域領主」の興亡』

国衆の戦国史 (歴史新書y)

国衆の戦国史 (歴史新書y)

 するっと読み流してしまったので、特に、地理的状況などがいまいち把握できず。微妙に理解が怪しいところが。
 戦国時代、今川氏の領国となった遠江の国衆たちが、どのように行動したのかを、戦国時代を通じて描いた本。駿河の守護だった今川氏が、京都の政界と連動して、斯波氏の領国だった遠江へ進行。数次の攻勢を経て、遠江の国衆を支配下にいれ、領国化。三河方面に戦線が移って、半世紀ほどの平和。その後、桶狭間の戦いによる今川義元の敗死と松平氏の自立によって、遠江は、戦国大名うしの「境目」となり、戦場となる。
 遠江の国衆の離反。徳川・武田連合軍による今川領国の解体。その後は、武田氏と徳川氏の前線となり、前半は武田氏の優勢、長篠の戦い以降は徳川家優位で展開していく。


 ミニ戦国大名である国衆は、自家の存続のために戦国大名と同盟を結ぶ。一方で、その戦国大名が動揺すれば、見限って、別の大名と結びつくことがありうる。「境目」の国衆を見方に引きとめ続けることが、領国の維持に死活的に重要だった。
 国衆は、自己の支配する一郡ていどの領域に関しては、独占的な支配権を行使していて、戦国大名も直接介入することはできなかった。一方で、領民の側が、戦国大名に訴え出ることもあったが、基本的には、訴訟を受け付けない対応をとった。戦国大名は、基本的には国衆の存立を手助けする方針だった。一方で、一門内部での継承争いを、両方に権益を分配することで、煽って、自立の芽を摘む行為も行った。
 「井伊谷徳政」をめぐる領民や銭主の駆け引き。あと、「直虎」が、嫡流が絶えた井伊氏に、関口氏経の子が送り込まれたのではないか。近世大名となった直政の系譜は傍流だったのではないかという指摘も興味深い。直政が井伊谷の支配にはあまり関わっていないあたりも、嫡流でなかったと考えると、納得できるところが。


 最終的に、遠江で「国衆」として存続した家系は存在しなかったというのが、なんとも。徳川家に従属したいくつかの家が、大名になっているあたりが勝ち組か。国衆として受け取っていいのか分からない井伊氏を除けば、高家に取り立てられた大沢氏が一番かな。瞬間風速的に大名になり、その後紀州藩の家老になった久野氏。このくらいが、生き残りか。
 武田方についた国衆は、武田領国内で転封したり、徳川家の攻勢をうけて、没落。その後、北条氏領国に逃げた者も含めて、幕臣ないし近世大名の家臣として、召抱えられ、全国に散っていると。今川・武田・北条旧臣の幕臣率高いな。
 肥後の国衆なんて、肥後国一揆で秀吉に逆らって、おおよそ完全に殲滅されたわけだが。