菊地浩之『織田家臣団の系図』

織田家臣団の系図 (角川新書)

織田家臣団の系図 (角川新書)

 なんだかんだ言って、出ると買ったり、読んだりしている作者の本。
 今回のテーマは、織田家家臣団の系譜。しかし、こうしてみると、織田信長自身の系譜も含め、同族意識みたいなのが、この時代に途切れている感じがすごいなあ。かなり時間が経ってから、系図が再構成されていて、異説や強引な結びつけだらけになっている。


 信長の家系、祖父の信貞の代以降に台頭した家だけに、あまり一門の存在感無いな。というか、そもそも、各地の織田家を倒して、尾張を統一しているだけに、叔父、従兄弟、兄弟、息子くらいしか一門衆がいない。しかも、長島一向一揆との戦いで、かなりの一門衆が戦死しているというのが。
 あとは、信長の姉妹が、他の織田一門や尾張国内の国衆クラスに嫁いでいるのに対し、信長の娘は家臣や公家と結婚しているという、婚姻戦略の違いも興味深い。


 本書では、信長の家臣団を、勝幡譜代、古渡・末盛譜代、那古野譜代、清洲譜代、外様に分けて整理する。勝幡譜代は、祖父の代以来の家臣の家系。津島衆や荒子村を拠点にする平手、池田、前田などの家系。那古野譜代は、父信秀が古渡城に移転して以降、尾張今川家旧臣や地域有力者、そして、信長自身が小身の武士を取り立てた旗本選抜。古渡・末盛譜代は、父親信秀の家臣団で、弟の信勝が継承、暗殺後に信長の配下に入った家臣団。大身の家臣はここに多い。そして、最後は有力勢力の崩壊の契機になった人物が外様としてまとめられる。
 清洲織田家家中を統一する永禄元年(1558)あたりまでに配下に入ったものしか出世していない。岩倉織田家を始め、その後に支配下に入ったものは、よそ者と認識され、譜代家臣の与力として付けられたという構図が興味深い。
 そういう目で見ると、実は外様で出世した連中も、明智光秀以外は、大名級与力扱いな感じだなあ。やはり、十全の信頼は置けなかったってことなのかなあ。例えば、細川、筒井は、畿内「方面軍司令官」の明智光秀の与力とされているし、木村村重も秀吉の与力扱いになりかけて反乱を起こしている。
 直轄部隊扱いで、元の領地からあまり動いていない西美濃三人衆は、例外的だけど。こっちも、大出世したかというとそうでもない。


 信長の家臣団って、大身の国衆やそれに準ずるクラスが少ないと思っていたけど、そうでもないのだな。まあ、後にだいたい失脚して、目立たないだけで。一度は信長に叛旗を翻した付家老林佐渡守、信勝配下から転じた佐久間一族や柴田勝家、鳴海村の山口氏、岩崎村の丹羽氏あたりは、かなりの動員力を持っていた訳か。特に、佐久間一族は、初期には信長軍の主力部隊で会った。


 しかし、家臣団の中核は、土豪クラスの庶流や動乱の美濃から逃れてきた武士たち、そして、秀吉のようなもっと下層らしき人物で構成された旗本の親衛隊と。尾張系は丹羽長秀佐々成政前田利家。美濃系は森可成や金森長近、堀秀政ら。
 近江の六角旧臣でも、蒲生氏郷など一部は、本能寺の変で信長が死ななければ、取り立てられたかもしれない。
 羽柴秀吉が、尾張なのか、美濃なのか、よく分からないなあ。あと、明智光秀の特異性。そもそも、前半生の素性が分からない人物が、方面軍司令官クラスまで重用されたのはなぜなのだろうか。


 初期も初期の勝幡譜代がおもしろいなあ。
 譜代中の譜代であるはずの津島衆が、ほとんど活躍していない。尾張有数の都市で、商業にも片足を突っ込んでそうだし、武将として活躍するのがそれほど魅力的じゃなかったのかなあ。徳川綱吉の擁立で、大名に出世した堀田正俊くらいしか目立たない。
 あとは、乳兄弟である池田恒興の家系は、一族で中国地方の大大名に出世。那古野城の二番目の家老平手政秀、後世にこれといった人物がいないから目立たないけど、こちらも、譜代家臣。
 前田利家は傍流で、荒子村を拠点とする前田一族の嫡流は、前田与十郎家。後に、利家の長女と前田長種が結婚して、本家筋を自藩に取り込んでいる。


 しかし、子孫の身の振り方を見ると、武士の血縁ネットワークが、一族の生存に大事だったんだなあ。あと、例えば岩倉織田家の旧臣が、どこの誰の与力に付けられたのか。出生した信長家臣の家臣団がどのように組織されたのかあたりに興味が出てくる。