南極OB会編集委員会編『南極観測60年 南極大陸大紀行:みずほ高原の探検から観測・内陸基地建設・雪上車の開発』

 成山堂の南極本、外見軽めに見えて、なかなかガチの体験談集で読むのに時間がかかるんだよな。これで3冊目。図書館で特集みたいに集めてあったうちの一冊を読了。次々と読みたいところだが…


 本書は、南極大陸の内陸、みずほ高原や東ドローニングモードランドの探査旅行、ドームふじ基地の建設などの事業の体験記と極地旅行に必要な技術開発の話など。
 しかし、今はGPSで自分の位置があっさり分かるけど、過去は、自分の位置を確定するために並々ならぬ努力を強いられたのだな。1960-70年代の探査旅行、1980年代、21世紀に入ってからと、測量の技術の変化が活写されているのが、おもしろい。
 1970年代には、いちいち一定の距離ごとに旗竿を立てて、同じコースに復帰できるようにした。また、定期的に天測して自分の位置を確定。そのために、時計の管理が重要だった。外国の時報をなんとかキャッチして、補正とか。氷河の流動を調べるために、三角鎖測量を採用。これが、80年代に入っての「等高線トラバース」になると、初歩的な衛星測位システム、NNSS(米国海軍衛星航法)システムを導入。これは衛星のドップラーシフトを継続的に観測することで位置を確定する方法。位置の確定は、衛星にアンテナを向けている時間が長いほど良いという瞬発力に欠ける欠点があったが、寒いなかで天測するという苦労は避けられるようになった。2007-8年の「日本-スウェーデン共同トラバース」だと、GISとか、一気に現代的になる。


 やはり、南極って寒いんだな。マイナス20度で、「あたたかい」なんていう表現が出てくる。そして、それに対応できる装備を調えなければならない。やはり、極端に寒いところだと、機械がガンガンぶっ壊れるのだな。ボーリング用の機械がぶっ壊れたり、予想通り動かなかったり。
 あとは、防寒装備の開発。顔や手を防護する装備の開発が難しい。さまざまな試行錯誤が重ねられた。かつては、公的な研究が行われていたが、現在はアウトドア用品メーカーが高機能の装備を開発していて、特注品と併用されている。
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 個人的には、雪上車に興味があって読み始めたので、そちらに注意が向く。10章「内陸トラバースに使われた雪上車」の章の他に、1章「『宗谷』時代の内陸探検から昭和基地-南極点旅行』、8章「日本-スウェーデン共同トラバース」あたりも、記述がそれなりに。
 スウェーデンの「へグランド」ってのは、Bv.206シリーズの足回りをもとに、キャビンはあちこちから寄せ集めたものを使っているようだ。全地形車両は南極にも適応できる。ただ、汎用車両だけに、故障は多いそうだ。あと、牽引能力はあまり高くないらしい。
 一方、日本は内陸旅行での観測作業のために大きなキャビンスペースと牽引力、長距離の信頼性全部が高い、いわば万能型の車両を発展させてきたという感じだろうか。ここいらあたり、ロシアと近いのかな。一方で、基地建設といった大量な資材を運ばないといけない時には、牽引力が不足しがち。アメリカ、イギリスあたりは農業用トラクターを使っているのだとか。ドームふじ基地を建設するときはブルドーザーを導入、最近はドイツ製の大型雪上車を導入したと、牽引力は弱点のようだ。。
 最初期の雪上車KD60は、村山隊長の要求で、「雪上車ではない。氷上車を」という要求で設計されたら、意外に軟雪が多くて、苦労したというエピソードが印象深い。90年代に開発されたSM100大型雪上車が、そのまま現在まで、長距離旅行用の雪上車になっているようだ。それだけ、枯れた技術ということなのかな。
 貨物積載用のそりについての言及も興味深い。雪上車は満足すべきものができているけど、そりは研究開発のリソースが足りていなかった。現在のそりは、接地圧が高い、かつランナーが長くて、扱いにくい、と。アメリカではシート式のそりが開発されたり、技術開発の余地が大きいという。
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 七月十日、昭和基地出発から一八日目にようやくS122地点からZルートに進むことができた。この頃から極冠高気圧の勢力が強まり始め、標高が高まる影響以上に気温の低下傾向が強まってきた。七月十二日にはマイナス四〇℃を下回り、愚かにも我々は冬らしい寒さの到来に祝杯をあげたのである。翌日にはマイナス四四℃以下になりウイスキーが凍り始め、翌々日にマイナス四八℃にまで下がった頃にはシャーベット状のコンクウイスキーを楽しむだけではなく、小型雪上車も凍りつき、セルモーターでの始動は不可能となった。十五日にはキャタピラも凍りつき、押しがけもできなくなった。トラック型のKD60の操縦装置が動かなくなり、ギヤーオイルはグリース状となってしまった。エンジンを止めないバス型のKD60以外はすべて動かなくなったのである。目的地まであと三〇㎞の地点であった。
 七月十四日からの数日間の旅行隊は一種のパニック状態にあったといえるであろう。気温は下がり続け、すべてのものが凍りつき、すでに粘性が高まっていた石油もいずれは凍ってストーブも燃やせなくなるのではという想像を否定できぬほど、こうした状況での人間の思考は科学的ではないのである。七月十五日にはさらに気温が下がりマイナス五二℃を超したが、この気温は昭和基地の気温比較から、この標高で出現するほぼ最低気温であると予想でき、そろそろ次の低気圧の到来によって気温が上昇するはずであるというそれなりの推論もその場では雨乞いのような信仰説法に近いものであった。p.47-8

 南極、怖い。というか、冷え性の人間には生存不可能だな。
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 文献メモ:
細谷昌之『日本の雪上車の歩み』極地選書1、国立極地研究所、2001
西堀栄三郎『南極越冬記』岩波新書、1958
菊池徹『犬たちの南極』中公新書、1958
村山雅美『地の果てに挑む』東京新聞、2005
山善吉『南極・越冬記』連合出版、2001
村山雅美『南極点への道』朝日新聞社、1963
文部省『南極観測二十五年史』1982
井上治郎編『極地気象のはなし』技報堂出版、1992
田豊『未踏の南極ドームを探る:内陸雪原の13ヵ月』成山堂出版2012
渡辺興亜「南極観測船『しらせ』接岸せず」『極地』30-1,1994
小野延雄他編『ニッポン南極観測隊:人間ドラマ50年』丸善出版、2006