繁田信一『平安朝の事件簿:王朝びとの殺人・強盗・汚職』

 去年からの積み残し。やっと、書けた。


 藤原公任が書いた有職故実書「北山抄」の紙背文書として現代に伝わった、検非違使の文書から、平安時代検非違使が関わった刑事事件を紹介する。藤原道長が権力を強めていく平安時代の最盛期にも、けっこう派手に治安が乱れているのだな、と。受領国司の地域当地の現場では、「武者を連れて行く」ことが推奨されているように、剥き出しの自力救済と有力者との縁故が横行していたのだな。
 第一章の「河内国の夜討ち」がパンチ強い。関東の武者の抗争みたいなのが、畿内でも普通に行われていたのだな。騎馬武者15-6騎に、徒の者20人というのは、立派な軍事行動だよなあ。まあ、平安京内部でも、「群盗」が横行する状況なんだから、当然と言えば当然なのかな。
 ただ、平安時代を通して、この種の抗争事件みたいなのは頻繁に起きていて、エピソード的にしか処理できていないのが不満点かな。受領やその郎党が関わっている事件が多いあたりに、中世的な「権門」がまだできあがっていない時代という特徴があるのかな。平安時代、詳しくないけど。


 海賊のお話も興味深い。藤原純友の乱が、瀬戸内の海賊としては有名だけど、それ以外の時期も横行していた。しかし、海賊と呼ばれた武装集団も、結局は、京都の有力者とつながりを持っていた。ついでに、瀬戸内海経由の物資搬入が京の経済生活を支えたことを考えると、そこいらのバランスはどう取られていたんだろうな。要は後ろ盾が弱い連中が海賊の被害に遭い、その海賊の中でも後ろ盾が弱い奴が検非違使に捕まったりするってことなのかねえ。
 その一章前、第八章の港で難破した船が略奪されたエピソードや第九章ラスト近くの港町などでの私的な通行税徴収とそれを抑止しようとした命令など、海をめぐる話がおもしろい。難破した船が「寄り物」として、漂着した場所の人々の物になるというは、近世まで続く伝統的な法習慣なわけだけど、「難破」の境界線がどこかで揉める、と。港内で、乗員も生き残っている場合は、揉めるよなあ。沖で沈んで、船がバラバラならともかく。
 借りた船で運送業を営む船長なんてのが、存在できたのだな。


 他には、刈田狼藉、地域有力者が刀祢を買収して架空の借金を押し付ける、受領が様々な貴族の給与を直接払うシステムになっていて場合によっては郎党がとばっちりを受ける。逆に、郎党に逃げられて困窮する国司。使い込みの証拠隠滅に倉を焼いて揉める。郡司への私的制裁。犯罪者の拘留などなど。ただ、現代の犯罪と違って、検非違使まで訴え出られる人だけが、こうやって文書に残ったんだよな。
 第十一章の拘留者リストと、彼らが何を盗んだかの目録も興味深い。布や衣類、比較的小さい工芸品、武器類が交換もしやすいし、狙われたのだな。一方で、米一石盗んでいる人間もいるが、これは強盗団の頭領みたいな感じなんだろうなあ。


 この時代だと、まだ、関係者の姓が古代豪族のものなのが印象深い。奈良時代以前には、もっと有力だったが、藤原氏に押し出された人々。しかし、きっちり地域に根付いていたのだなあ。