熊本県立美術館「美術館コレクションⅡ:再発見ジモトアート:人でつながる熊本の美術」

 9/28に見に行った展覧会のまとめ。
 県立美術館所蔵品によるコレクション展。近世から近代までを俯瞰するために、今回は「人のつながり」をテーマとしている。

第一部 殿様からはじまる熊本の美術

 第一部は「殿様からはじまる熊本の美術」ということで、殿様関係に注目して作品をチョイス。加藤清正、細川忠利、重賢、斉茲などに注目して、関連の作品を展示。重賢関係は書がメインで写真撮ってないな。

 狩野派の絵師を呼び込んだり、各種の武具、特に同田貫派の抜擢など。


 団扇図。熊本城の障壁画を、切り抜いて掛け軸にしたモノという。一番下の内輪の剥離具合を見ると、輪郭に沿って切り抜いて、重ね張りしたようだ。



 朱塗折墨文鞍。加藤清正所用の品と伝わるもの。角に螺鈿を施すのはなかなか大変そう。なんとなく剥離気味にも見えるし。




 同田貫源左衛門と同田貫正国



  • 細川忠利

 肥後入国に伴って、肥前の陶工を移入して熊本の焼き物の基礎を作ったり、御用絵師として矢野派を取り立てたり。


 小代焼と八代焼。後者は、厳密には細川忠興関連だな。八代焼作品、象嵌牡丹寿字文扁壺と象嵌暦手水差がいいなあ。前者の緩さというか、おおらかさというか。後者のデザイン性も。






 松に虎・竹に虎図屏風。
 細川三斎が描き、それに矢野吉重が彩色したと伝わる作品。江戸時代の虎の絵、微妙に体のバランスがおかしいというか、竜の顔を流用している感じがあるなあ。あと左隻のチーターみたいなのは一体…
 大画面で迫力ある作品なのだが、どうも虎が気になる。




  • 細川重賢

 重賢関連は時習館関係者の書が多いため、写真に撮ったのは白衣観音図のみ。豪潮律師が描いたもの。


  • 細川斉茲

 宇土支藩から本家に入った人。文事に熱心で、自分でも絵を描いた人だそうな。網田焼で熊本藩に磁器窯を作ったり、絵師を派遣して「領内名勝図巻」を描かせたり。


 染付作品。染付山水図花生と白磁梅花香合。後者がいいなあ。




 四季山水図模本。
 矢野派5代目の矢野良勝が、雪舟の四季山水図巻を模写したもの。雪舟流の流れを強調する活動をしていた一貫らしい。



 領内名勝図巻 八代郡種山手永之内。
 斉茲が御用絵師に命じて描かせた、肥後藩領内の滝などの景勝地を描いた図巻の一部。こうしてみると、やはり肥後藩領内の山地も草山化している感じだなあ。熊本平野や島原方面を遠望する光景、あんまり緑があるように見えない。とはいえ、画家の作風が、草山化させているように見せている可能性もあるか。特に遠景。






第二部 「絵師」から「画家」へ

 明治維新後、職を失った御用絵師たちが、伝統的な絵画から「近代日本画」へと脱皮していく姿。あとは、師弟関係とか。
 著作権が及ぶ人の作品は撮影禁止だった。堅山南風の「霜月頃」とか、高野松山の漆芸品とか、わりと好き。


 四季花鳥図屏風。
 こういう大画面の作品、いいね。蛇籠による護岸工事が妙に印象に残る。






 西南役熊本城籠城。
 大正末に設立された明治天皇の事績を描いた壁画群の写しというか、作者が作った控えらしい。花岡山から熊本城を砲撃するシーンのようだ。新聞記事で現地取材や軍隊による陣地構築再現なんかもやって、描いたということが書いてあったな。
 遠景は、熊本城の西側、坪井川流域や段山のようす。大正時代になると、意外と木が生えてるんだな。あと、西側の低地に宅地化がまったく及んでいなかった状況など。
 現実的に考えると、花岡山に砲を上げる前に、城下町は焦土化していたと思うけど…



 球磨川真景図。
 なんか、陵墓が書いてあるけど球磨川流域に損難あったかなと思ったら征西将軍懐良親王のお墓か。そういう時代なんだなと。





第三部 教師たちがひらいた熊本の洋画

 第三部は近代の洋画。タイトルの通り、美術の教師を経由して西洋画の技法や考えが流入、普及された。熊本県にゆかりの画家ということで、教員などの絵画がコレクションされている。
 撮影禁止だったけど、海老原喜之助の雪景色、牛島憲之の秋川あたりも好み。


 風景。
 オーソドックスな風景画。



 富田至誠「通潤橋」。
 セザンヌの影響を受けているという。



 大森商二「大理石を切る」。
 こちらもセザンヌの影響。なんか、色がいいなあ。



 田代順七「海辺小景」
 荒尾の海岸の貝焼き場を描いたそうだ。フォーヴィズムの影響を受けているという。