石川薫・中村康明『アフリカから始める水の話』

 なんか、歴史の本的な体裁だったけど、アフリカを中心とする発展途上国の水事情の本というのがテーマとしては正確かな。著者がエジプトに滞在した経験があるためか、エジプトとナイル川のエピソードは、詳しくて興味深い。
 というか、水というのは人類にとっても、生命にとっても必須の物質だけに、テーマをよっぽど絞らないと、散漫になりがちかなあ。


 第5章の途上国の上下水道問題が印象的。上水の供給もだけど、トイレ問題が大きい。日本でも、災害時のトイレ問題は大きいし、阪神大震災で現地に入ったときは仮設トイレがアレでなあ。熊本地震の時は、下水は使わないでと言われなかったから、お風呂の水で流せていたが。
 そもそも、インド亜大陸やアフリカでは、トイレが存在しない状態の人々も多い。屋外での排泄は、感染症リスクを上昇させるだけではなく、女性にとっては身体的な危険も伴うもので、トイレと下水の整備は喫緊の課題でありながら、なかなか進まない。インドの強引極まりないトイレ政策は継続性はともかく必要不可欠なものなのだな。そして、トイレの整備が進めば、下痢性疾患による死亡率や肉体的悪影響を緩和できる。一方で、不浄の処理という文化的問題も立ちはだかる。
 あるいは、女児が水くみという労働に忙殺され、少量の水を得るのに何時間も使っているジェンダー格差の問題。
 サハラ砂漠などの高温乾燥地域では、日光を利用して衛生的に処理できないのかなあ。
 水源の汚染という問題も考えると、ほんと、むしろトイレ対策が大事というか。
 ガーナの「全国衛生の日」運動というか、国民衛生の日と訳した方が良いと思うが、そういう取組みのコレラ抑止効果。遠野地域の竈を普及させ、湯冷ましを飲めるようにしたケニアに事例、1993年からJICAと北九州市が組んで人材育成から指導を行ったプノンペンの水道インフラ支援事業。個別にはめざましい事例も紹介される。


 3章のナイル川メコン川といった国際河川での水争い。イギリスを後ろ盾とするエジプトがダム開発などで圧倒的な規制力を誇っていたが、エジプトの混乱を受けて、上流のエチオピアなどがダム開発に注力し始めている状況。
 さらには、ダムを作ったことによる洪水抑止が水環境を変貌させた上に、下水や廃棄物の処理システムが存在しないため、水路や地下水を汚染しまくっているなど、水環境の崩壊が見えてきている。
 メコン川も中国を中心としたダム建設が水環境を変動させ、伝統的な水との関係を崩壊させつつある。


 同じく3章と4章にまたがるスエズ運河の歴史もなかなか。
 欧米諸国からの借款で近代化を果たそうとしたイスマイル・パシャ。しかし、借金のカタにせっかく作ったスエズ運河会社の株を安値で売却させられてり、権益をむしり取られたり。
 1936年まで、スエズ運河から一切収益を得られなかったとか、その後もほとんどの収益が英仏のモノになっていたというのは、そりゃ、国有化するよなあ。日本は、スエズ運河庁の人材育成の支援を1960年から行っていた。運営指針とするデータの評価方法を指導ということは、自前でそういう人材がいなかったのか。
 五洋建設スエズ運河各庁への関わりも印象深い。


 第6章の東京の水源となった村山貯水池や小河内ダム建設時、それによって立ち退く羽目になった人々に対する酷薄さ。シンガポールの上水確保の様々な試み。あるいは、学校が公衆衛生などの支援の核となっている姿など。