徳仁親王『水運史から世界の水へ』

水運史から世界の水へ

水運史から世界の水へ

 県立図書館の新受入れ図書のコーナーにあった。水運史は興味があるので、借りてみた。当時皇太子、現天皇の講演集。水問題関係のフォーラムの基調講演や大学の講義が収録されている。
 しかし、本書は「親王」がついているけど、即位するとどう表記するんだろう。親王がとれるのかな


 全体は8章構成。

  1. 平和と繁栄、そして幸福のための水(第八回世界水フォーラム
  2. 京都と地方を結ぶ水の道:古代・中世の琵琶湖・淀川水運を中心として(第三回世界水フォーラム
  3. 中世における瀬戸内海水運について:兵庫の港を中心に(第150回学習院桜友会例会)
  4. オックスフォードにおける私の研究(交通史研究会第20回大会・総会)
  5. 一七~一八世紀におけるテムズ川の水上交通について(第三回水資源に関するシンポジウム)
  6. 江戸と水運(第四回世界水フォーラム
  7. 水災害とその歴史:日本における地震による津波災害をふりかえって(学習院女子大文化交流学部講義)
  8. 世界の水問題の現状と課題:UNSGABでの活動を終えて(学習院女子大文化交流学部講義)

 国連関係の水問題の基調講演、大学での講義、学会での講演など、さまざまな場所での講演がまとめられている。全体としては、現代の水問題に関する講演と、水運・水上交通史に関する講演に分けられる。


 個人的には、5章のテムズ川海上輸送の講演が興味深い。
 テムズ川が最上遡航地まで開通したのは18世紀、オックスフォードに水路が通じたのが1635年。上流の水路開発は、かなり遅れた。また、船舶に必要な水深を維持するために各所に水門が設置されたが、その水門がフラッシュ・ロックという、ダムみたいな代物で放流するときの急流で、事故が頻発していた。これを、パウンド・ロックという現在の運河で広く使われる、水槽を使って水位を調整する水門に導入し、安全な運行が可能になった。
 しかしまあ、自然河川を塞ぐような人工物を作って、あっという間に押し流されないのが、ヨーロッパの河川の緩やかさだなあ。日本の河川だと、10年以内に洪水で破壊されて、経済的に破綻しそうだ。
 水流をめぐっては、川を上下する水運業者と、同じく水流を利用する水車利用者との間で利害対立があったというのが興味深い。確かに、ヨーロッパだと、あちこちに水車がありそうだ。そして、その水車は製粉だけではなく、さまざまな機械用の動力として利用されていた。フラッシュ・ロックだと、水運業者には危険が大きいし、水車運用者からは水位の回復に時間がかかると、どっちも不満がたまるモノであったという。
 しかし、イギリスで近世に入って、にわかに交通インフラの整備が推進されるのが興味深い。運河や有料道路、そして、河川。この流れの先に鉄道があるわけで。それだけ、輸送や人の移動の需要があり、投資して、利益が見込まれたのだよな。そこに、どういう社会的・経済的な変化があったのか。
 前章の、研究活動の講演の各地の史料博捜のエピソードも含め、印象深い。


 第7章の「水災害と歴史」は、東北建設協会が東日本大震災前後に撮った空撮写真を比較しながらの解説が興味深い。田老地域、もともとの防波堤の外側が破壊され尽くして、土がむき出しになっているのに対し、「長城」の内側は残骸が残っているあたり、その程度の効果はあったのだなあ、と。陸前高田は、一番外側の砂丘が完全に浸食され尽くしているのが恐ろしい。あとは、松川浦の潟湖がめちゃくちゃ拡大している風景とか…
 他の部分は、参考文献にも上がっている『中世の巨大地震』を読んでいれば、載ってる内容かな。


 第2、第3章は、中世の水運の概要紹介。「兵庫北関入船納帳」の紹介がおもしろい。著名な史料で、中世海運となればこの史料が基本。それぞれの船を担当した問丸も記録されていて、そこから、大手総合問丸と専門分化した小問丸の分化。あるいは、特定の港・地域を独占する大手問丸の姿などが浮かび上がる。
 第6章も、同様に日本の水運。こちらは、近世の江戸水運について。関東平野の沼沢地の干拓と同時に、利根川から水路を引いて、農地を作り出す。そして、その水路を、水運に利用する。見沼代用水と見沼通船堀。日本最初の、パナマ運河タイプの水門が、見沼通船堀。堰の運用方法がイギリスと日本で全然違っておもしろい。そもそも、日本は堰が木製。さらに、水門も、板に取っ手を付けて、それを上から鉤で操作して、積み重ねる。このあたり、労働力の価格が低かった近世日本の特質を現している感じがする。


 第1章は、「水を分かち合う」がキーワードだが、言い方を変えると「奪い合い」って事だよねえ。で、独占できなかったから分け合うことになった。日本の分水なんかも、長年の紛争の結果として、「公平に分ける」事になったんだし。

 アメリカでは、平成二四年(二〇一二)一〇月に、ハリケーン・サンディがニュージャージー州に上陸し、ニューヨーク都市圏では、地下トンネルや駅への浸水により地下鉄が停止し、八〇〇万世帯に及ぶ停電などにより経済活動が停止するなど、国内外の経済活動に大きな影響が生じました。ハリケーン・サンディは大きな被害を発生させましたが、それでも平成一七年(二〇〇五)にニューオーリンズ市を中心に被害をもたらしたハリケーンカトリーナの経験に基づき、災害対策を事前に講じたことにより、被害を大幅に軽減することができたといわれています。例えば地下鉄においては、ハリケーン上陸一週間前から土のうの配備などをはじめ、発災前日には低地部の車両や主要電気設備を高い場所に避難させて運行を停止するなどの事前処置を講じることにより、二日後には一部区間の運行を開始することができたとうかがっています。また、一部の先進国では、気候変動による災害リスクの増加に備えた水害対策も検討されていると聞いています。p.215-6

 なんか、日本って、1970年代あたりまでの災害対策にあぐらをかいて、アップデートを怠った感はあるなあ。災害対策先進国を気取っているが、ソフト面はかなり貧弱というか。
 今年の台風19号では、大量の車両を水没させちゃったし。まあ、最近はやっと計画運休などが、定着してきたけど。今後は、都市部のゼロメートル地帯の大規模避難が課題だな。万単位の人間の移動と給養。