湯沢威『鉄道の誕生:イギリスから世界へ』

 途切れ途切れに読んだせいで、全体の流れがいまいち頭に入っていないが。
 題名の如く、現在の形の鉄道が出現し、拡がっていく過程を描いている。特に、蒸気機関が開発され、それが交通機関に適用されるまでの状況を詳しく追っているのが特色。あと、鉄道の形をつくったストックトンダーリントン鉄道とリヴァプールマンチェスター鉄道の形成にも、ページを多く割いている。
 先駆的形態として、炭鉱から積み替えの港まで輸送する馬車鉄道の流れがあり、その延長線上に、ストックトンダーリントン鉄道もある。同鉄道は、固定蒸気機関も併用し、また炭鉱からの石炭積み出しが主要な業務であり、最初の「公共鉄道」ではあったが、それは徹底を欠いていた。同時期、同じく主任技師がスティーブンソンであった、リヴァプールマンチェスター鉄道は、両都市間の貨物輸送の円滑化を主目的に企画されたが、実際に運用を始めると、旅客輸送が収益の柱になり、人の動きを大きく変え、現在の鉄道に直接つながる。
 他にも、初期の蒸気機関が水車動力の補助として、水を安定的に流すためのポンプとして利用された状況。あるいは、ウィラムに蒸気機関車と鉄道の技術が集積されていく流れ。実際に鉄道が運用される前の1820年に、全国ネットワークや国家による運営の必要性など、鉄道のあり方を指摘したトーマス・グレイの著作の紹介が興味深い。
 個人的には、ターンパイクや運河と鉄道投資の連続性。あるいは、蒸気機関開発の資金の出所や、開発された機関の市場といったところに興味があるが。


 以下、メモ:

 しかしながら、ニューコメン型蒸気機関は動きがゆるやかで、回転運動には対応していなかったため、工場には不向きであった。むしろ、セイヴァリーの言及にもあったように、水車の補助手段という位置づけであった。次章でみるように、イギリス産業革命期の主要な動力は水車であり、蒸気機関がその補助手段として利用されることは自然の流れであった。産業革命のメッカ、マンチェスターの水力紡績工場などでも、蒸気機関は最初、水車の補助手段として利用されていた。蒸気機関が水車に代わって主要な動力源になるのは、産業革命の中盤、ワット型の蒸気機関の登場を待たねばならない。p.51-2

 水が足りないときにくみ上げるなど、かなり後まで水車の補助手段だったと。日本でもそうだけど、19世紀を通じて、水車って活躍しているんだよな。

 用途についてみると、輸出された一一〇台のうち、四〇台が船舶に利用されている。次いで鉱山一五台、製粉一〇台となっている。馬力数でみても、船舶用の蒸気機関は全体の三七%を占めていた。それだけ海外では蒸気船のニーズが高かったのであろう。p.72

 河川用とか、港湾内のタグボートには、初期の蒸気機関でも、すごく便利だっただろうな。