虚構推理 第十一話「最後の虚構」 - ニコニコ動画


 なんか、九郎さんのスプラッタ映像集のようなw


 いよいよ、解決編ラスト。今までの伏線で、六花をつり出したあげく、後方を遮断する作戦勝ちか。
 第三弾もはじき返され、第四弾は七瀬かりんが生きていて、替え玉殺人を実行したというシナリオ。そのシナリオすら撒き餌で、サイトそのものの信用性を破壊する作戦か。
 今までの撒き餌を使って、まとめサイト管理者=七瀬かりんという構図に持って行く。
 そう来たか。
 いや、七瀬かりん生存説が一番うさんくさいような気がするが、確かに、掲示板の流れ的に管理者がステイクホルダーっぽいのは確かだしなあ。
 とりあえず、創造力の方向性が乱れれば、鋼人七瀬の存在感は揺らぐわけだ。そして、みんなの想像力を発散させることに成功。今までの、掲示板の議論が統一的であることすら、傍証に使った。
 これによって、六花は、未来決定能力で流れを掴み返すことすらできなくなった。


 勝負ありで、次回はエピローグということになるのかな。


 つーか、寺田さんが死後にひどい目にあってないかw
 巨乳好き疑惑w

ゾイドワイルド ZERO 第23話「サリー・ランド」 - ニコニコ動画


 なにやら、皇帝陛下とギレル中尉改め少佐のロマンスが。お嬢さまに振り回されるギレルさん。



 あとは、やっぱりサリーの父親だったランド博士。そして、オメガレックスはかなり完成に近づいている状況。しかし、ランド博士、逝ってるなあ。とりあえず、最強のゾイドを作ることしか興味が無いのか。


 サリーを追いかけるレオたち。しかし、二度の囮に引っかかり、完全に見失ってしまう。アイセルの提案で、外交ルートでギレルとの接触を図る。ギレルは、情報を受けて、ランド博士の行方を追い、ラプス島に赴く。
 そこで、ほぼ完成に至ったオメガレックスと出会い、また、復権したシーガル准将と遭遇。拘束されてしまう。どうなるギレル。


 キャノンブルと再び対決。今度は苦戦しつつも、互角以上に戦っている。レオのメンタル次第って事なのかねえ。


 ランド博士も、ゾイド因子を浴びて、腕がメカ化しているのか。
 ペンダントを利用して、荷電粒子砲をガンガン撃てるようにする。ペンダントを奪われるなというビデオメッセージが完全にフラグだったな。ボーマン博士は、この状況を予測して、何らかの対策を取りそうだけど…


 というか、これ、3月いっぱいで完結させるのか、もっと続くのか、さっぱり分からんなあ。新しくビジュアルが公開されたところを見るに、さらに何かあるようだが。

だるい

 なんか、本当に気分が重い。春鬱プラス天気が悪いときたら、そりゃ、精神力なくなるわあ。


 東京で、感染爆発っぽい状況になっている一方で、熊本もなかなかヤバそうな事態に。
 温泉施設に長期滞在していた老人が、新型コロナ発症。三週間滞在していたというからには、そこでうつされたのだろうなあ。つまり、それなりの数感染者が潜在しているということ。ヤバい。濃厚接触者が多そう。いよいよ、熊本でも蔓延開始か。
 熊本でも、東京でも、検査数が少なすぎないか。


 つーか、牛肉券だの、お魚券だの、日本の政治家はアホなのか?


 そう言えば、劇場版Fate/Stay Nightの第三部は公開延期。確かに、現状で映画館は不安なので、これは良い判断だと思う。

肥後の里山ギャラリー「「熊本の現代作家展Ⅴ:中村賢次展:伝統と挑戦」

 崇城大学日本画の先生の展覧会。熊本の現代作家を紹介する展示シリーズの5番目だそうで。抽象画も具象画もやる人だけど、基本的には抽象寄りの感じがする。2015年から17年にかけて制作された阿蘇の噴火を題材にした作品も、現実の大規模な噴火を題材にしつつ、そこから自分の世界に入っているし。
 「噴煙」「弦煙」「煙籟」の三作品が、阿蘇噴火関係として出品されているが、テクスチャー感がいいなあ。


 暗めの色使いの作品が多いけど、花鳥画や抽象画の「春夏秋冬」などは、対照的にカラフルな色使い。「肥後六花図屏風」が個人的に好き。

熊本県伝統工芸館「匠の技と心:未来に繋ぐ熊本の工芸Ⅲ」

 なんか、ぼやぼやしていると行けなくなりそうということで、今日、見に行った伝統工芸館の企画展。水の平焼の岡部信行氏、木葉猿の永田禮三氏、小代焼の井上泰秋氏、山鹿灯籠の中島清氏の工芸家四氏を、熊本県の伝統工芸アーカイブ・情報発信事業で制作された動画とあわせて紹介する企画展。
 残念ながら、写真は禁止。
 海鼠釉の水の平焼が印象的。先日、郷土玩具の展示が印象的なのもあって、木葉猿が一番興味深かったかな。江戸時代から土産ものとして有名であった。十二支が欲しいなあ。あとは、泥メンコも興味深い。型と見比べると、相当焼縮みするんだな。
 山鹿灯籠、奉納品の建物とか、上から見ることを考慮して、縦横比がディフォルメされているのか。
 さまざまな技法を遍歴して、小代焼にたどり着いた井上氏は、ちょっと毛色が違う感じがする。


 会場で流されていたそれぞれの制作を撮影したビデオは、Youtubeにアップロードされている。
www.youtube.com

お出かけ

 E-honで注文していた本を引き取りに、お出かけ。ついでに、しばらく天気が悪いようなので、花見に歩いたり、展示会を見たり。お昼は、びぷれす広場でおこわを買って、不開門前で桜を見ながら食べる。どこか入ろうと思ったけど、意外と人が多かったので。
 つーか、熊本も、完全に警戒モードが解除されている状況だな。飲食店の客の入りもずいぶん戻ってきているし、自動車の動きもいつもどうりに。市街地の通行者も、いつも通りの水準といった感じに。
 まあ、熊本は現状、流行っているという感じはないからなあ。しかし、中国人観光客がけっこう来ていたはずの九州各県で、意外と感染者が少ないのが不審ではある。
 といったところで、東京ではくすぶっていた新型コロナの感染が、ついに爆発した模様。一日で40人か。この状況、どの程度予測されていたのだろうか。先週あたりから確定者が増えていて、危ない感じはしていたが。急激に増えてきた。一週間くらいは倍々ゲームで増えそうな予感。学校の再開どころじゃなくなったな。つーか、満員電車をなんとかしないことには。
 人間、基本的に、先の見えない籠城戦って苦手なんだな。臨戦態勢も一月しか持たなかったか。
 熊本も、いつまでこの程度のぬるさが維持できるか。


 つーか、国の対応が遅くないか。今頃、軽中程度の症状の患者の収容施設が、都道府県主導で準備されているって、厚労省の存在意義は…


 ソメイヨシノ。藻器堀川放水路沿いや百間長塀の対岸、不開門前など。咲き初めから3分咲き程度まで。日陰の木ほど、咲くのが早いんだな。






















 肥後銀行本店前のヤマザクラ





 藻器堀川放水路沿いの千原桜。










 産業道路の千原桜。






 伝統工芸館の植栽のツツジ






 平櫓と天守。平櫓は、いつの間にか解体撤去されている。




 百間長塀修復工事の足場と馬具櫓。馬具櫓は、かなり歪みが進んでいるな。そのうち、崩落しそう。


山崎善弘『村役人のお仕事』

村役人のお仕事

村役人のお仕事

 タイトルの通り、江戸時代の日本社会の実質を担っていた名主などの村役人の活動を紹介する本。なのだが、「役人としての名主」に重点を置きすぎているように思える。根本的には、大規模な経営を行う富裕な百姓というのが、村役人層の基本のように思えるが。業務経費の自己負担がけっこう多く、公益への投資を必要な近世役職者において、それを支えるだけの財力が大事なのではなかろうか。
 文書主義の業務である名主としての活動について、史料が多く残りがちであるという、史料のバイアスを考えるべきではなかろうか。
 あと、なんか幕府の農本主義に同調してしまっているような感じがして、どうも…
 キャッチーなタイトルの割に、読むのに苦労した。


 群馬県東吾妻町の旗本保科家所領の名主伊能家、東京都足立区佐野の名主から複数の村を束ねた栗原組合村の大惣代となった佐野家、兵庫県小野市の清水領知で河合中村の名主から領域支配を差配する立場になった三枝家、現在の兵庫県福崎町の姫路藩領辻川組の大庄屋三木家の、東西四カ所の名主から、名主の仕事の共通性と地域性を抽出する。
 こうしてみると、熊本藩の手永の惣庄屋って、権限というか、活躍の範囲が広かったのだな。一方で、村単位の庄屋の存在感がめちゃくちゃ薄いのが特徴なのだが。


 名主の仕事としては、年貢の皆済が一番の基本であった。基本、在地に、実務担当者がいない近世の体制では、ここからして村の自治に依存していた。あるいは、自村の社会経済活動を維持するための法的知識、自力でかなりの規模の新田開発や交通路整備を行う土木技術と、地域社会とそこに蓄積された知識は相当なものがあった。
 むしろ、幕藩体制は、このような地域社会の力量と地域社会の富豪層におんぶに抱っこで、それは江戸時代の後半ほど強まっていった。社倉政策なんか、完全に富豪層の寄付に依存して遂行された。


 四家の違いも興味深い。もともと在村の武士で自らが開いた佐野新田に強い影響力を維持した領主的名主の佐野家、名主から最終的に武士身分に吸収された三枝家、大庄屋のトップとして遇された三木家、普通の名主であった伊能家。熊本藩メインだと、献金で武士身分を確保するのが普通といった感覚だが、他の地域では、相当貢献しても武士身分を購入できなかったのか。いろいろと地域性の違いが大きいのだな。


 本百姓からの年貢しか取れず、貨幣経済で農業以外の生業に従事する人々が増えても、そこから税金を取れるようにならなかったというのが、江戸時代の武士の支配力の限界という感じだなあ。
 本百姓再建政策で、いろいろと在地の商売を辞めさせようとしているけど、結局、どの程度の効果があったのかねえ。


 ちょっと、書く時間がないので、細かいディテールはパス。