小馬徹『贈り物と交換の文化人類学:人間はどこから来てどこへ行くのか』お茶の水書房 2000 ISBN:4275018273

なかなか面白かった。全体的にはなるほどという感じ。
ただ、以下の文章は多少疑問に感じる。(追記:疑問と言うよりこうも考えられると書いたほうが適切でした)

日本では少数者の贈答という瑣末な互酬の環に、巨大な市場交換が連結して運営されていたのです。
(中略)
こうした私的な全体的交換が国家システムを牛耳るという伝統が払拭されない限り未来がないことは、日本の「失われた10年」と呼ばれる1990年代を経た今では、もはや世界中の誰の目にも明らかです。要は、全体的交換と近代的な市場交換が別々の起源と原理を持つことを公に明示して、両者の混同と連動を厳しく戒める倫理と法律を確立することです。一言でいえば、駆け引きの手段としての接待文化をきっぱりと清算しなければなりません。

最近のブッシュ政権の動きなどを見ると、アメリカにおいても、そしておそらくヨーロッパでも、「駆け引きの手段としての接待文化」は存在するのではないだろうか。トマス・ホーヴィングの『ミイラにダンスを踊らせて』を読むと、日本とは別の形のではあるが、「少数者の贈答という瑣末な互酬の環に、巨大な市場交換が連結して運営」されている可能性を感じる(生煮えの考えですけど)。
大事なのは、むしろ「私的な全体交換」の環を広げ、そこに加わる代表者をより適切な代表に代えることではないだろうか。