湯浅治久『中世の富と権力:寄進する人びと』

 なんか、「寄付」というと赤い羽根募金のような感じで後はノータッチという感覚があるけど、実際には、「寄進」「寄付」というのは、「縁」を結ぶ行為なのだな。現在でも、大口スポンサーに対して、寄付された側は気を使うだろうし。
 しかし、こう、ディテールが豊富すぎて、まとめるのが難しい本。


 中世の自力救済、分権、所有の不安定といった状況の中で、「寄進」という行為がどのような機能を果たしたのかを、時代ごと、分野ごとにまとめている。
 寄進という行為は、有力者に権益を寄進することで縁が結ばれ、自己の権益の維持を確実にする行為であった。その意味では、有力者に訴訟を代行させる「寄せ沙汰」と同じ行為であった。これは、荘園制の形成期から中世の終わりまで、一貫して意味を持ち続けた。平安時代摂関家が、この種の寄進に積極的でなかったという話が興味深い。
 あるいは、中世の法制では、売却・寄進どちらも旧所有者の影響力が残る。むしろ、所有を確実にするためには代価を支払って取得した方が確実性が高い。しかし、その場合、徳政令による返付を要求される可能性がある。その抜け道として、形式としては寄進だが、受ける側が対価を支払う売り寄進という形式も存在したという。


 第二部「中世社会のひろがりと寄進」は、それぞれの階層の寄進のあり方を、具体的に検討する。都市の有徳人、在地領主層、地域社会における寄付のあり方。
 都市の有徳人たちは、寺院に積極的に寄進することで、場合によっては縁を結んだ先の寺院から融資を受けたり、課税を逃れることができた。また、大規模なインフラ整備の費用を「勧進」という形でまかないつつ、自己も権益を得ることができる。一方で、有徳人の富は寺院を通じて地域に還元される。そして、社寺のスポンサーという立場を通じて、公的な体制に位置づけられ、公認される「出世」を果たすことができた。寺院への寄付は、様々な意味で美味しい行為であった、と。
 続いては、在地領主層。こちらは、地域から集めた富を寺院を通じて還元する役割が期待された。また、寺院、それに附属する町場は地域開発としても重要であった。また、公方と直通する寺院への土地の得分の寄進は、守護の在地支配への介入をはねのけ、自立を維持するための有力な手段でもあった。
 また、近江国大原観音寺を題材に、地域における寄進の意味を探っている。地域全体の宗教センターであった観音寺は、様々な公共的意味を持つ年中行事を遂行した。地域の有力武士は、このような公的意味を持つ寺社を保護することを通じて、公共性を獲得し、地域の「公方」となり得た。一方で、民衆の側も積極的に土地を寄進し、公共的な年中行事を維持していく一方で、その負担に対する再分配を受けた。
 「寄進」は、贈与関係を設定することで、様々な保護・非保護関係、信頼関係の創出、それによる富の集積・再分配を可能にした。


 第三部以降は、戦国時代の「寄進」の動き。
 様々な供養行為が、社会の低い階層にも拡散し、資産の寺院への預託行為も盛んになる。
 また、様々な「結社」が出現し、その団体内での融通・再分配として寄進が利用されるようになる。寺院としては滋賀の大原観音寺や菅浦などの惣村が題材にされる。寺の本尊や村の惣が法人として資産を保有し、必要なときにはコミュニティ内の構成員にそれを売却して資金を調達したり、逆に法人側から融通するなどの相互扶助・再分配が行われた。同時に、結社間で、勧進などの資金集めが互酬的に行われていた。
 また、そのような結社が正面に出てこない東国では、香取神社の文書から寄進の意味が検討される。15世紀から16世紀にかけて、神社そのものの資金需要の増大から、土地の本銭かえし売買が盛んになるが、結局、リスクのある投資は破綻してしまう。しかし、寺への寄進は、この種の投機の資産保全に利用された。


 寄進という贈与行為が、社会のさまざまなつながりを作るために利用され、地域社会の富の分配に寄与した。そのことは理解できる。しかし、政治的支配関係の創出、戦国期の地域社会における金融秩序の保持、コミュニティ内の相互扶助と論点が多岐にわたり、ちょっと飲み込むのが難しい。それが楽しい本でもある。
 最終的には、論点がさらに発散して、世界の寄進行為との比較論につながるのがおもしろい。イスラムのワクフも、寄進した資産を管理する役割につくなどで、有力者層の資産保全の機能があったようだ。なんというか、やっぱり只より高いものはないのだな。