藤木久志『中世民衆の世界:村の生活と掟』

中世民衆の世界――村の生活と掟 (岩波新書)

中世民衆の世界――村の生活と掟 (岩波新書)

 中世の村落の生活世界を、村掟・惣堂・地頭・山野・直訴の五つのキーワードから描き出す作品。中世の後半から近世の初頭あたりの時代を扱う。基本線は、藤木久志のほかの作品に沿ったもの。自力救済と安全保障の習俗。字も大きいし、史料は現代語訳されているし、割と読みやすいのではないだろうか。


 第一章の村掟は、自検断によって容赦なく処刑や追放が行われていた時代から、「家」あるいは百姓株の永続性を重視していく状況の変化を追う。処刑された犯罪者や没落した村民の家産が「惣作」という村全体で維持される制度を通じて保全され、後継者へ引き継ぐようになる動きを追う。これが、近世の百姓株とその維持につながると指摘。
 49ページから51ページは、近世の村で逃亡した百姓の遺産の処理をどうやっていたかを解説している。ここの記述と、香月洋一郎の『景観のなかの暮らし:生産領域の民俗』(ISBN:4624200756)の記述を考えると興味深い。香月によれば、村落の領域に一定以上の家が成立すると、生計を維持できない家がでてくる。このような家は、オークションで家財を処分して他へと出ていく。しばらくは、先祖供養などで戻ってくるが、そのうち完全に縁が切れてしまう。本書では、制度的側面もあって百姓株の維持に重点が置かれているが、実際には何らかの手続きで出ていく百姓が結構いたのではないか。そのあたり、本書とこのような香月の記述はどう接続するだろうか。


 第二章は、村が共同で建設したお堂である「惣堂」について。外部から人が入ることを警戒する村落空間において、惣堂は外部に解放された空間であった。旅人が気軽に泊まれる空間で、いろいろな人が行きかったこと。面白いのが、このお堂というのが落書き上等の世界で、中世から残る古いお堂にはびっしりと落書きされているし、絵画史料にも落書きをしているところが描かれているそうな。年代・出身・名前も記されたものが多く、何らかの信仰的意味があったのかもしれない。アンコールワットの16世紀の日本人の落書きも、同じ線上にあるのだろうな。熊本では、そのような古くからの村のお堂ってあまり聞かないが、もしあれば、落書きだらけなのだろうか。また、何年か前にイタリアで大学生が落書きして騒動になったが、このような観光地での落書きというのは、意外と根が深い文化なのかもしれないと思った。
 このような落書きには、けっこうエロい、しかも男色なものも結構あるそうで。「あの美少年に抱かれてー(意訳)」みたいな落書きが残っているのだとか(p.80-85あたり)。
 あと、このようなお堂の管理は村の共同事業で、維持のための資産が寄進や売却され、その一方で寄進者の供養がおこなわれていたこと。また、祭りのときなどは、仏物で派手に飲み食いしていたそうだ。


 第三章は、地頭と村落の関係。領主と村の負担関係のリストが紹介されているが、非常に細かな贈与互酬関係があったそうだ。年中行事ごとに、村人が贈り物を携えて挨拶に赴き、逆に地頭の側は村人を御馳走で供応し引き出物を与える。上納分の何割かといったレベルで、村側に下し、それによって貢納を確実にしていた。
 また、夫役などもちゃんと反対給付が行われ、無料の奉仕ではなかった。あるいは、領主との距離が遠い場合には、前記のような儀礼関係は薄くなる。


 第四章は山野の用益をめぐる争いから、中世の村の自力救済と紛争解決の様相を描く。近世以前には、山野からの雑草などが、肥料・飼料・燃料として、村落の運営に欠かせないものであった。そのため、その確保をめぐって、村同士での抗争が起きることがあった。この場合、山道具を没収することで、その山を実力で維持していることを誇示する習俗があったそうだ。また、このような抗争が激化すると、「弓矢」という表現にあるように、事実上の戦争になったこと。抗争の激化を見計らって、周囲の村落の長老らが仲裁に介入してくるという形で解決された。また、この仲裁を拒否したり、破った場合は地域から絶縁されるという制裁があったそうな。近世に至ってもこのような自力救済による抗争は続いたが、喧嘩停止令によって、武器を使わない程度の変化はあったとか。


 第五章の直訴は、村の異議申し立てシステムの変化、すなわち統治の変化。逃散や武力での抗争といった、村の実力行使に対して、直訴という形で統治側が対応したこと。「年貢さえ納めれば百姓の去就は自由」という、原則が一貫してあったと指摘する。


 全体として、村と統治者の関係という話なのだろうけど。特に、はじめにとおわりにはそのような議論が行われている。が、むしろ、その間にある、エピソードが面白すぎる。お堂の落書きや地頭と村のこまごまとした互礼関係などが、むしろ興味をひかれる。