台風 教育のチャンス 利用を

つっこみどころ満載の記事、というかつっこみどころしかない。

ダム、堤防、山の植林、などというものは、治水の基本であり、治水はいつの時代でも国家経営の条件だ。それを否定した人は、どういう責任を取るつもりなのか。そうした計画は政府がすべて大手ゼネコンとつながりを持つための1つの手段としか解釈せず、山も川も、自然に任せるのがいいのだ、などという「暴論」を載せた新聞や雑誌も多かった。そうしたことを書いた人たちと、載せたマスコミは、こういう際にこそ、発言に責任を負うべきだろう。

最初のつっこみどころ。そもそも「そうした計画は政府がすべて大手ゼネコンとつながりを持つための1つの手段としか解釈せず、山も川も、自然に任せるのがいい」などと極論するような新聞はほとんど存在しないと思うんだが。具体的に紙名を書いてもらいたいところ。ほとんどの河川にダムが整備され、新規建設のダムが環境に与える負荷に比べ、治水・利水の効果が低くなったからこそ、ダム建設の可否が真剣に議論されるようになったのではないか。具体的な事例もなにも書かず、このようなことを書くのはそれこそ無責任だと思うが。

原発にも火力発電にも、それぞれに問題がある時に、水力発電所は、貴重なクリーン・エネルギーであるはずだ。

ここもおかしい。水系を断ち切り、生態系に強い負荷を与えるダムによる水力発電は必ずしもクリーンとはいえないと思う。環境問題を二酸化炭素排出問題という一面でしか考えない単純な「思考ほど幼稚で困るものはない」。

校その他に避難した人たちは、ラベルのついた新しい毛布を支給されていた。一晩のことに何でそんなに甘やかさねばならないか私はわからない。避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着をして眠って当たり前だ。それがいやなら、早めに毛布や蒲団(ふとん)を背負って避難するだけの個人の才覚の訓練が要る。
 お弁当なども行政は配る必要はない。天気予報を聞くことができるシステムがあるのだから、自分で歩けない老人や障害者は別として、避難する時、食料は自分で持って来るのが世界の当然だ。台風は教育のチャンスでもあるのに、それを少しも利用していない。

さらに、この段落に至っては、正直この人大丈夫かなという感じである。治水・防災事業が進んだ結果、逆に危険に関する感度が下がったこと。実際に災害を引き起こす集中豪雨などの事象は天気予報の報道頻度より短期間に、観測網の精度より狭い範囲で起きることが多い。また、災害は今回の中越地震阪神大震災の違いのようにそれぞれ個性的であり、かつ高齢者などの災害弱者を狙って起きる。「台風は教育のチャンス」などとしたり顔で言えるような単純なものではないのである。台風23号で被害を受けた豊岡のように、思わぬところから襲いかかるのが災害なのであり、だからこそ災害に対する備えは難しいということを曽野氏には肝に銘じてもらいたい。
この段落では、同時に、食料・寝具などを準備して避難すべしと主張している。これも理想論に過ぎないのではないか。確かにすべて自前で準備してもらうのが理想である。しかし、鍋釜背負って、貴重品身に付けてとなれば、準備に時間もかかるし、手間もかかる。その結果、逃げ遅れてしまうようでは本末転倒である。現在の災害は、あらかじめ備えるより、瞬時の判断が重要になってくる。その点で訓練や啓蒙が必要なのは認めるが、このコラムでの主張は机上の空論に思える。