日韓、歴史の溝明確に:併合条約有効性めぐり

http://www.tokyo-np.co.jp/00/sei/20050610/eve_____sei_____001.shtml
日韓歴史共同研究報告書
最初から日韓の歴史観がかみ合うわけがない。こんなことに関わる羽目になった人はもうご愁傷様としか言いようがない。
報告書のさわりをちょっと読んだだけだが、濱田耕策「4世紀の日韓関係」と金泰植「4世紀の韓日関係史:広開土王陵碑文の倭軍問題を中心に」の要旨を読み比べてみれば、その問題意識がかけ離れているのが分かる。
濱田報告が古代朝鮮半島地域の政治社会の重層性を強調するに対し、金報告は未だに「任那日本府」を問題にしているあたりにそれが明瞭に現れている。どうも見たところ、韓国の歴史学界は、なんというか19世紀的な、国民国家に奉仕する学問としての歴史学と言う性格を保持しているように見うけられる。最近起こった、高句麗の歴史的位置付けをめぐる、中韓の争いはそのような歴史学の性格の反映だろう。
そのことが、同じく古代史分科会の「共同研究を終えて」の、

その背景には隣国との関係史が近代の国際問題の概念で分析解釈され、それがために近代の日韓の関係史が古代の関係史に重なるかのように解釈されて印象を与え、また印象を受けてしまう傾向がしばしば現れている。

という一文に象徴的に表されているのではないか。
まあ、やらないよりはマシかもしれないが、それに関わる人の労力を考えると、継続の意味があるのだろうか。


内容とは別にサイトの作りについて一言言いたい。
そもそもこの共同研究は、日韓の歴史観をすり合わせ、両国の友好関係を促進することが目的のはず。ある程度広い範囲の人がアクセスし、意見を述べられる、そのようなものであるべきだろう。にもかかわらず、報告書がユーザーフレンドリーでないのはいかがなものだろうか。
論文がPDFファイルなのは、不便だが、仕方ないとして、それぞれの分科会のページの右クリックが殺してあるのは何のためだろうか。非常に印象が悪いのだが。
また、それぞれの論文で引用されている史料が素の漢文なのも不便である。せめて、返り点か書き下し文が付けてあれば、門外漢にとっても読みやすくなるのではないか。一工夫があればありがたかったのだが。


関連記事:歴史共同研究報告書の要旨


追記:
ちょこちょこと読んでいるが、なんか共同研究以前の問題のような気がした。
その前に、学術情報の交換(論文などの情報をウェブ上で検索できるようにするなど)や研究者同士の交流が必要なのではないだろうか。
ヨーロッパでは、研究者どうしの往来やネットワーク、共同での学術研究(日韓のような政治的なものではなく)などがあって、初めて教科書や一般的な歴史観の調整を図ることができるようになった。
日韓も、いきなり対立的なテーマの共同研究を始めるのではなく、そのような基礎的な部分から構築していく必要があるのではないだろうか。
ことあるごとに政治的なテーマで吠え出す韓国人研究者がいるだろうから、関わりたがる人はあまりいないだろうけど。