ここのところ、近代工業の形成に関心をもって本を読んでいるが、なんか前近代の人間社会について多少なじんでくると、現代社会がものすごく異様に感じる。
 たかだか100年か200年ほど前まで、世界のほとんどが血縁と地縁で動いていて、各種の人間集団の規模もたいしたものではなかった。それが、今やバカでっかい多国籍企業だの、何百万人に達する軍隊だの、地縁・血縁でなく内的な論理で動く官僚組織のようなモンスターな人間集団が跋扈している。物の生産にしても、たかだか大衆用の消費財にとんでもない高度な技術がポコポコ放り込まれている。自動車にしろ、これを書いているパソコンにしろ。ものすごいエネルギーと組織で運用されている。
 そもそもこのような巨大な人間集団が、どうやって組織し、維持できるようになったのか。それも、19世紀末あたりから20世紀の半ばあたりに、一気呵成に進んだプロセスとそれを支える思想・論理・規範のようなものが、ものすごく興味深いというか、不思議だ。それが世界を動かしているから勘違いしがちだが、そもそも現在の国家・近代社会のような「固い組織」は、世界に普及しきっていない、欧米や東アジアなどの例外的事例ともいえる。東南アジア、中東、中国などを見るに付け、人口ベースで見ると、今現在も地縁・血縁などの、対面式の社会関係が主体といえる。
 では、そのような巨大な組織がいつ、どのようなプロセスで形成されてきたのか。そこを知りたい。第1次、第2次の両世界大戦に大きな鍵があるのでがないかと見ている。そこから、南北問題などを解く視点が出てくるのではないかと思う。
 そのあたりの取っ掛かりとして、19世紀のイギリスの運河建設などにも注意が向くのだが。調べる取っ掛かりがないな。