そんなら、客でいたまえよ。――あるいは「学界とオーケストラ」――

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どちらが不寛容か


特に異論があるわけではない。大枠では正しい。
ただ、なんと言うか、中の人的な意見だなとは思う。中国古典学という、いわば参入障壁が高い、比較的手続きの定まった学問分野だからこそ出る意見ではないかと思う。

研究者は自分の研究が学界全体に資するかどうかを考えて仕事をする

そこまで理想主義的かというと、首をひねらざるを得ないところがある。もっと、「世間」的なものというか…
イデオロギーが入ってくるようなところ(近代史や社会学など)だと、いろいろと面倒くさいことがあるようだし。


本題とは外れるが、文系の学問(理系は良く分からん)では、誰々の門下であるということが重視される面があるが、あれは一種の品質保証なのだろうなと思った。バイアスも含めて、チェックしやすいというか。

そもそも論文を評価するには、隅々まできっちり読み込んだ上で、引かれている資料が誤っていないか、解釈が妥当かどうかなどを一つ一つ検証していかなければなりません。小説を斜め読みするのとはまるで訳が違うのであって、はた目から見る以上に大変な労力を要します。箸にも棒にもかからない駄作だったら、最初の数ページで判断はついてしまいますが、それを膨大な時間を割いて、最後まで丁寧に読むのは実にむなしい作業です。読まなければならないもっと有用な本は他にたくさんあるのですから。

上記のように、きっちり検証するにはなかなかコストがかかるだけに。