今谷明『籤引き将軍 足利義教』

籤引き将軍足利義教 (講談社選書メチエ)

籤引き将軍足利義教 (講談社選書メチエ)

 題名にひかれて以前から気になっていた本。このたび講談社選書メチエ攻略作戦の一環として読了。個別の史実などディテールは興味深いが、先に清水克行『日本神判史』asin:4121020588を読んだ後では、分析に関しては微妙な感じが。
 第一章は前将軍の義持の死と籤引きでの将軍選出の経緯。傷口の化膿から、急激に健康が悪化していく将軍とその後継者選定をめぐる混乱。義持の実子は先に死んでいて、兄弟は全員出家している状況。誰が器量が優れているか見極められず、幕府の家臣団の支持がなければ地位を全うできないからと、家臣たちの衆議によって決めるようにと、後継者の指名を拒否する将軍。重要な決定を投げられて困惑する家臣団。これといった有力候補のいないため、最終的に抽選で選ぶことが決まり、それが実施される。さまざまな日記類を中心に、巧みに再構成されている。
 第二章は、それ以前、平安時代後期の皇位継承の際に行われた卜占の歴史。堀川天皇の譲位、源平合戦の際の安徳天皇と神器が持ちだされたときに行われた卜占、後鳥羽天皇の譲位の際の卜占。つづいて、承久の乱後、四条天皇の夭折とその後継者の選定をめぐって、北条泰時が行った抽籤。あとは六壬式占と亀の甲羅を使った亀卜の解説。それぞれ何度も繰り返されているあたりに、あまり信用されていなかったというか、都合のよい結論を正当化するための権威づけといった性格があること。また、皇位継承に卜占を乱用することにたいする批判。卜占から抽籤への移行などが指摘される。
 第三章は、世界各地の神判や式盤の解説。日本において古代の盟神探湯が消滅した後、1000年後に湯起請が復活するという「謎」の指摘。
 第四章は、義教治世の展開。義教治世の初期の宮廷や関東公方との対立、裁判に湯起請を多用する状況とそれの背景となるイデオロギー、万人恐怖と義教治世の終焉。正直、『日本神判史』で提示された、君主による専制確立の道具としての神判、紛争解決と合意形成のための神判といったビジョンを提示された後に、これを読むと、むしろ物足りない。義教が癇癪持ちというか、付き合いにくい性格の御仁だったのは確かなのだろうけど。
 「神は人間救済の目的で降臨しているのであるとする、神観念についての新しい考え方(p.203)」という指摘や蒙古襲来後の神仏の権威の上昇などの指摘は興味深いが、政治的な交渉の手段としての神判、あるいは特定の決定の理由としての「神意」の力というところをえぐり出す所まで行っていないというか、このあたりのイデオロギー的な力の分析と政治過程の分析があまりきっちり結合していない感じがする。

 さて、六壬式占の復元の問題であるが、卜占の学問的研究が遅れていた背景について、西岡氏は次のように学界における非科学的なものへの軽視を指摘される。


従来、卜占の研究は、好事家的な趣味の領域として扱われてきた。その大きな理由は、一つには前近代における卜占の社会的な位置づけに対する軽視があり、二つには煩雑な手続をとる六壬占を解明することが、技術的に難しかったことに求められよう。


しかし、化学的思考が登場する以前の社会において、卜占は、人間社会と自然・宇宙をつなぐ有力な技術として尊重され、社会の多様な側面で重要な役割を果たしていたのであり、さまざまな困難を克服して解明しなければならない領域は広い。p.78-9

 孫引きになるがメモ。実際のところ、技術的に難しいというのは結構な壁なのではないかと思う。