主犯が釈放されてるのに、4日間のバイトは否認したためにさらに2ヶ月勾留される美しい国、日本

http://d.hatena.ne.jp/RRD/20090713/1247493156 常々思うのだが、日本の供述調書って、はっきり言って?小説?だよね。歴史小説を例にとれば分かりやすいかもしれない。そんなものを「客観的な証拠」として利用できる神経が分からん。法曹全体がそれに疑問を持っていないように見えるのも不思議。なんで尋問記録の形式にしないのだろう。捜査官が尋問から再構成したものなんて、証拠としては相当価値が低い。捜査官の主観や誤解が入りまくるものとしか思えないのだが。

 供述調書は録取、つまり警察官なり検察官が尋問して、それを被疑者なり被告人なりの一人称の作文に置き換えるスタイルをとっている。その際に、公判で検察に有利になるように巧みに言葉遣いを変えたり、内容の細かいところを作ったりする。
そして往々にして、その言葉尻や些細な内容が決め手で量刑が大きく左右されるんだけど、実際のところ公判でこの供述調書をひっくり返すのは至難の業だ。


なぜなら裁判官は調書が正しいことを前提に誘導するように質問をしてくるから。調書を否定しても、手を変え品を変え言葉を変え、何回も同じことを聞いてきて、その中で多少ニュアンスが違うことを言っただけで公判での証言は信用できない、と来る。
さらに、文章読解力に優れている裁判官は平気で重文の上に複文を重ねるような代名詞を多用した長文で質問してくるから、普通の人からすると3回も4回も聞き直さなきゃ理解できないし、そこでうっかり検察に有利なように誤読して答えようものならそのまま、被告人に有利なように誤読して答えようものなら即ツッコミ。

どこが三権分立、どこが法治国家


他者の再構成がどれだけ、話者の意図を歪曲しかねないかについては→朝日の捏造ではなく誤報記事