山崎勇治『石炭で栄え滅んだ大英帝国:産業革命からサッチャー革命まで』

 石炭業がイギリスの資本主義にどのような影響を持ったか、19世紀後半、戦間期サッチャー改革の三時点について論じている。それぞれの部分で、分析視角が異なっていて、全体を通じた流れが見難いのが欠点か。あと、私が、資本主義とか、そのあたりの理論がさっぱりなので、何を問題にしているかわからない部分もあった。


 第一部は、19世紀後半から第一次世界大戦勃発まで。19世紀の後半以降、工業生産はアメリカ・ドイツに追い抜かれていく一方で、エネルギー資源としての石炭がイギリスの基幹産業のひとつになった。英国の石炭は、北欧・フランス・地中海・南米方面で、重要な地位を占め、金融と同時にイギリスのヘゲモニー維持の一つの柱になったと指摘する。
 第二章は、南ウェールズの石炭業の発展の過程。個別の論文の寄せ集めのため、つながりが悪いようにも思う。ただし、具体的な話で面白い。第三章は日露戦争時、バルチック艦隊の日本回航のための燃料確保の問題から、戦略物資としての石炭の性質を描き出す。ただ、この章では、主な資料をバルチック艦隊側の日記に仰いでいるために、イギリスが石炭問題に対してどのような意図で行動したかが見えない。最初、ロシアはドイツの海運会社経由で石炭を購入していたが、最初、イギリスはこれを容認していた。それが、ドッガーバンクでの漁船攻撃による関係悪化によって、イギリス側の態度硬化、補給基地の確保難となる。この展開の背後にどのような意図があったのか、それはイギリス側の外交文書を検討する必要があるのではないか。本書を読む限りでは、イギリスは日和見の反応しかしなかったとしか、読めないのだが。


 第二部は両大戦間期を扱う。第一次大戦後、イギリスの石炭業は、需要の限界と生産コストの上昇で、衰退局面に入る。その対策として、労働者の待遇を引き下げて対応する試みがストライキで挫折する。その対応として、国有化が打ち出されるが、1920年代前半は、ドイツ・ルール炭田が政治的な混乱に巻き込まれた結果、一時的な好況の中無視される。しかし、ドーズ案によるドイツの安定の結果、イギリス炭は市場を失い危機に直面する。その結果、上からの介入で「独占的再編成」が行われた。このあたり、自然発生的に発展した先進国イギリスに対し、後発のドイツがより整った組織で追い抜いたわけで、自由市場の弱さを思わせる。


 第三部は、戦後、石炭業の国有化からサッチャーによるストライキ弾圧と不良鉱山閉鎖まで。第四部は、炭鉱ストライキの関係者へのインタビューで構成される。サッチャリズムの意義が考察の中心と一定だろう。しかし、この部分を読んでいると、現在、日本が直面している問題を見るようで身をつまされる。自由化・民営化に伴う、労働環境の悪化とか… 本書は、リーマンショックの前に書かれたもののようだが、リーマン後、新自由主義の破綻後という視点で評価した場合に、サッチャー改革の功罪はどうなるのか。ないものねだりだが、タイミングが悪かったなと。
 しかし、第13章の第6節「ケンブリッジ大学講師ロジャー・ムーア氏の意見」(p.283-291)は日本での講演の記録だそうだが、分析手法が古めかしいのを除けば、そのまま日本が今直面している問題とそっくりさん。

 実際、この反労働者階級党たる保守党は、広範囲にわたって経済政策の改革を実行してきました。他方で、社会福祉予算の削減によって、多数の失業者を意識的に作り、労働者階級に恐怖感を与え、従順にさせようとしたのでした。p.284

ここなんか、今まさに日本で起きていることだ。失業の恐怖におびえる状況。若者が終身雇用を望む。また、パートタイム労働への変化の問題なども、1980年代のイギリスと2000年代の日本をそっくりに見せる。


 炭鉱労働者で、ストライキで逮捕されたA氏のインタビューも興味深い。

A氏:今回のストライキは1974年ストライキと違って賃金問題ではなかった。炭鉱閉鎖によって失職するかどうかが争点であった。
 この点について一般国民は理解していなかった。そんなに炭を掘ることがきらいであれば炭鉱村を出て別の新たな仕事を探せばよいのではないか、と。しかし、500万人の失業者がすでに存在している上に、われわれに本当に仕事があるのか、それは不可能である。そうそう政府の統計は信用できないと思う。私はこの12カ月失業しているが、失業給付対象のリストから外されている。私は生活保護の対象ではなくなっているのだ。このような失業者がたくさんいることを、政府統計は計算に入れていないのだ。
 話をもとに返すと、炭鉱夫の深刻な問題は、コミュニティー崩壊の問題だ。炭鉱夫は炭鉱村のメンバーの重要な一員だ。このことを理解するために、切羽といわれる採炭現場がどんな条件のところか1回でもよいから働いてもらいたいものだ。トイレがない仕事場で持参した弁当を食べなければならないのだ。そんな不衛生で過酷な仕事場は炭鉱しかない。しかしわれわれは楽しんで働いている。炭鉱村の暖かいコミュニティーを愛しているからだ。われわれはみなコミュニティーのために働いているのだ。その命より大切な炭鉱コミュニティーをサッチャーは壊そうとしているのだ。炭鉱を閉鎖すれば村は死ぬ、これが一番つらいことなのだ。p.277-8

 まさに、労働が市場で取引できない理由。