飯島渉『感染症の中国史:公衆衛生と東アジア』

感染症の中国史 - 公衆衛生と東アジア (中公新書)

感染症の中国史 - 公衆衛生と東アジア (中公新書)

 19世紀から20世紀初頭に東アジアで流行した感染症とそれへの対応を題材に、「近代」において、社会と個人の身体の関係の変化を明らかにする。植民地主義と公衆衛生の密接な関わり、公衆衛生を手段として介入してくる外国に対して、中国側の対応。以下の一節が、わかりやすい。

 植民地などでの医療・衛生事業が、プラスであったかマイナスであったかという二項対立的な理解は、「近代性」の歴史的性格を意識することなく、医療・衛生を無意識のうちに福利的なものとみなすことから出発しています。この問題は、現在の開発援助では、しばしば「よい統治」と表現される問題です。
 中国における衛生の制度化は、統治機構の再編、つまり、個人の身体の規律化と欧米や日本の帝国主義的な進出に対抗する意味での衛生事業の整備が交錯した点に特徴がありました。この結果、衛生事業の制度化には、西洋医学や公衆衛生事業の導入による技術移転にはとどまらない社会制度の根幹にかかわる問題、すなわち、身体をめぐる国家と個人の関係をいかなるものとするかという問題を中国社会に提起したのです。p.200

 善悪はともかくとして、近代、公衆衛生によって人と政府の関係、社会の認識というのが大きく変わった。そこが興味深い。


 第一章と第二章は、ペストの流行とその対策が持つ問題点。
 第一章は、満州の流行の様相とそれに対する動き。中国人への差別的な検疫システム、衛生/不衛生という二分法、ペスト対策の個人への介入とそれへの反発。ロシアや日本がペスト対策をてこに満洲への介入を強化しようと目論見、それに対抗して、アメリカなどを巻き込んだ国際ペスト会議を開催する清朝という、国際政治の力学。実に生臭く、それゆえに興味深い。
 第二章は日本の植民地統治とペスト。そして、日本モデルの中国への輸出。後藤新平の在来秩序を利用した統治と公衆衛生の関係。そして、そのモデルが満州などの日本の植民地にも適用され、中華民国も取り入れようとしたこと。


 第三章は、コレラマラリア・日本住血吸虫のそれぞれの病気から、何が見えるか。中国の混迷とコレラが制圧できない状況が、同列に見られたという指摘。マラリア対策が住民との関係を開く回路となったという台湾の状況からは、帝国主義と公衆衛生との共生関係があらわになる。日本住血吸虫からは、日本の植民地医学、熱帯医学の遺産が、日本と中国の日本住血吸虫対策で利用されたこと。しかし、その遺産の利用は、どちらでも隠されたという指摘。


 読んでいて、非常に面白かった。また、本書の扱う問題は、瀬戸口明久の『害虫の誕生』の「サーベル農政」や第三章の台湾のマラリア対策と熱帯医学と通じる部分があって、興味深い。本書では、台湾のマラリア対策は一定の成果があったと評価しているが、一方で『害虫の誕生』ではもう少し厳しい評価に見える。

害虫の誕生―虫からみた日本史 (ちくま新書)

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