Togetter - 「日本にキリスト教徒が少ない理由について考えてみた。」

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 うーん、そもそも戦国後半期のキリスト教と明治になって入ってきたキリスト教を同じものと考えるからわけが分からなくなるのではないかと思う。宗教改革/反宗教改革啓蒙思想、近代科学といったヨーロッパにおける思潮の変化の洗礼をうけた結果、その性格にはずいぶん違いが生じていると考えるべきだろう。このあたり、キリスト教を好きになれないから、あんまり詳しくないんだけど。
 戦国末に一旦、地歩を築いたキリスト教が、その後根付かなかったのは、エリートに嫌われたのが大きかったのではないだろうか。独自の政治勢力を築こうとする姿勢が、統一政権の警戒を買って、最終的には追放され、少なくとも武士階層からは一旦は根絶された。その結果、キリスト教は日本に根を下ろす機会を失った。
 そもそものローマ帝国でのキリスト教の隆盛などは、帝国中枢部に食い込むことが出来たからで、政治的中核を担う層に食い込むことが、新しい宗教を一気に導入するには必須のことなのだろうと思う。その点では、

違うと思う。基督教が広まらなかったのは単なる歴史的偶然にすぎない。もし幕府による禁教が無かったら日本は基督教国、つまり「温帯のフィリピン」になってたかも。“@stayfoolish_me: キリスト教が日本への伝道を失敗しているのは、(中略)「改宗」を迫ったからです。”.medicalcloud
2011-02-15 14:38:51

のツイートは正鵠を射ていると思う。イエズス会統一国家は相性が悪そうだから、「温帯のフィリピン」と言うのはあり得なかったと思うけど。キリスト教が国教化していたら、どんな珍妙なものが出来上がったか、想像を刺激するな。タイや中国でキリスト教が弱いというのも、国家のエリート層にあまり受け入れられなかったという観点から理解できるし、植民地化されるとキリスト教が体制化するから。

宗教は、個人レベルで見れば共同体参加の為に入るというケースが一番多い。家族がクリスチャンだった、ワハハ本舗の大半が創価学会だった、等々。宗教は「何が美しい/カッコイイ」という価値観文脈を持つ以上、共同体内で評価される為には宗教に入る他なかったり。.raitu
2011-02-17 14:53:09 ....

の指摘も重要。


 この時期にキリスト教が違和感なく受け入れられたには、同時に、反宗教改革期には宗教としての儀礼やその他の性格が濃厚に残っていたためかもしれないと想像するところも。宗教的なファナティックさがあったからこそ、日本人に受け入れられたのではないかと思う。このあたりは全くの想像だが。


 その後、200年の時間が経過する。その間に日本では国学が出現して新たな「日本教」が出現する。一方、ヨーロッパでは、18世紀の啓蒙思想が広がり、科学的な世界観が力を得てくる。これに対し、キリスト教もこれを取り入れ、思想を洗練させる、裏腹に宗教としての活力を低下させるという結果をもたらした。
 開国後の日本では、国学から発展した国家神道を国教化する。その結果、キリスト教もだが、実際には仏教や江戸時代の神仏習合の民俗宗教も排斥された。そういう意味では、

日本には既存の宗教が混在していて、新しく入り込む余地が少なかったというのがまず理由としてあると思います。明治期には神道の頂点にいる天皇国家元首としてまつりあげていましたので、一神教であるキリスト教の布教には寛容ではなかっただろうと思います。.kenzou777
2011-02-17 11:59:16

の指摘が参考になる。
 あと、近代の日本では、キリスト教儒教や武士倫理と親和的なものとして、主に元の中下級の武士層にかなり理知的な形で受容されたのも、逆に社会的な広がりを押さえてしまったのではないかと思う。熊本では、初期のキリスト教需要として熊本バンドが有名だが、倫理としての需要、個人的な関係からの入信(英学校の教師ジェーンズの個人的影響)、近代主義開明主義的な思潮との親和性のような性格が、一般へ普及し得なかった理由なのではないだろうか。
 むしろ、一般的な庶民が欲しかった宗教は、金光教天理教黒住教、大本などの、より土俗的な宗教だったのではないだろうか。神秘主義的傾向の宗教が幕末明治期にいくつも出現しているのは、重要な指標だと思う。
 本当の宗教の力と言うのは、霊的体験や神秘主義にこそあるのだろうと思うが、近代の啓蒙思想や科学的世界観は、それの力を大幅に弱めるものだし。


 あと興味深いと思ったコメント。

ちなみに自分はキリスト教だけが排他的だとは思ってないです。親から独立するまでの生活環境がクリスチャンホームだったので、自分の実体験を元に、キリスト教に関すること(中でもプロテスタントに関して)だけを述べています。前にも言った通り、キリスト教徒は信仰が深ければ深いほど、他宗教を拒絶します。それに比例して、日本の伝統文化の多くを拒否しなければならなくなるのです。.netsphere
2011-02-17 23:04:11 ....

拒否と言っても文字通りの意味で、キリスト教徒が自身でそれらをしなくなるという事です。これも繰り返しになりますが、節分に豆まきをしない、お賽銭を投げない、神棚を家に設置しない、仏壇を持たない等がそれに当たります。それがキリスト教を信仰しない多くの日本人に、奇異に映るのは当然のことだし、仕方ないことです。キリスト教があまり広まらないのは、それが理由なのではないかと自分は思っています。.netsphere
2011-02-17 23:04:25 ....

 このあたり、節句などの習俗を積極的にキリスト教が取り入れると、面白いことになりそうだが。節分で豆をまく代わりに、聖水をまくとか。聖書と矛盾しない範囲で、取り入れることは可能だと思うが。というか、四旬節やクリスマスなどのキリスト教の祭りの類も、もとは先行する宗教の習俗をキリスト教風に改変したものだしな。
 まあ、プロテスタントだと、そういう裏ワザは使えなさそうだけど。

それ以前に恐らくコンタクトがあったにも拘わらず、イスラム大名が居なかった事にも踏み込んでくれれば。.CLONE_P0806
2011-02-17 20:39:59 ....

 そもそもイスラム教に「宣教」の概念がないような気がする。東南アジアのイスラム教の拡大を考えると、日本にムスリムの共同体やモスクが作れるほど人が来なかった時点で、芽はなかったんじゃないだろうか。ワッハーブ派スーフィーみたいな違いがあるから、イスラム教も一筋縄で理解できるものではないが。もし日本にイスラム教が入ってきていたら、日本風のスーフィー教団あたりが出現していたかもしれないなとか考えると、胸熱。