青木健『古代オリエントの宗教』

古代オリエントの宗教 (講談社現代新書)

古代オリエントの宗教 (講談社現代新書)

 先に読んだ小川英雄『ローマ帝国の神々』にちょうど接続するような時代を扱っている。ローマ帝国の領域がキリスト教一色に染まった後、「聖書ストーリー」がオリエントに進出していく過程で、どのような反応が起きたか。扱う時代は1世紀から13世紀あたりまでと、長期にわたる。「古代オリエント」というと、どっちかというとメソポタミア文明の時代を連想する。個人的には、「中世オリエント」の方がぴったり来る。
 旧約聖書新約聖書コーランと付け加えられていく神の啓示の物語「聖書ストーリー」。これが、東へ拡大していく過程で、グノーシス主義の思想とぶつかり、様々な宗教運動が沸騰する。その過程を描くのが本書。イスラムグノーシス主義なんてのがあったんだな。そもそも、メソポタミア地域には、マニ教の元となったユダヤ教系の洗礼教団とか、グノーシス的な宗教思想の教団、ギリシャ哲学を中心とした教団みたいなのが乱立し、東のほうでは、ゾロアスター教が大手を占める。むしろ、グノーシス的な思想の方が、性にあっていたということなのかね。
 「聖書ストーリー」と接触するまで、ゾロアスター教には明確な教義がなかったという。キリスト教の宣教活動に対抗するため、何らかの明確な思想を打ち出すことを迫られたことが、教義形成の端緒となった。さらに、歴史的な変遷を経て、時間を信仰するズルヴァーン主義から善と悪が対立する二元的教義へ変遷していく。
 あるいは、様々なグノーシス主義的聖書理解に対抗するために、キリスト教が教会組織を整備し、イスラム教が「正統教義」を教授する学院を建設し、スンナ派の神学と法学を固めた。意図とは反対の作用も興味深い。


 「聖書ストーリー」に対し、アナザーストーリーを作り出す宗教運動であるマンダ教やマニ教イスマーイール派といった活動。土着の宗教を、取り込むサイドストーリ形成に分けて、整理している。
 ユダヤ教の分派で、旧約聖書グノーシス的に解釈し、シリアに居づらくなり、最終的にチグリス・ユーフラテス下流の湿地帯に居を定めたマンダ教。キリスト中心主義を貫き、「真のキリスト教」を自称したマニ教。アリー家の子孫を「黙示者」として、コーランのアナザーストーリーを作りやすくなったシーア派、その中でグノーシス主義の影響を色濃く残したイスマーイール派。おもしろいというか、輝いているというか。
 一方で、ミトラ教の聖地や信仰を取り込んだアルメニア正教会ゾロアスター教の改革者ザラスシュトラアブラハムと同一視、イスラム教に取り込んだイスマーイール派の思想家など。在来の宗教が、キリスト教イスラム教に取り込まれていく姿を、サイドストーリー形成として描く。
 グノーシス主義の宗教としての高揚と、その限界。肉体を悪、霊魂を善とわけ、禁欲でより霊的になろうといった感じのグノーシス主義は大衆宗教としては、無理があったのかね。一方で、1000年にわたって、それが繰り返し、出現してくるのは、そういう思想がうける土壌があったってことだよな。特に知識人が魅了されたらしいが。


 最終的に、グノーシス主義的な宗教運動は、13世紀ごろ、スンナ派の教義が整備された時期に、エネルギーを失う。聖書ストーリーの完結とともに、知的活力も低下していく。ヨーロッパでは、16世紀以降、徐々に唯物的な宇宙観が出てきて、キリスト教を乗り越えていくわけだが、イスラム教は、知的には停滞している状況をどう乗り越えるのだろうな。戒律が強力なだけに、それだけで、強力な生命力を持ってしまうのかね。


 文献メモ:
青木健『ゾロアスター教講談社選書メチエ、2008
青木健『マニ教講談社選書メチエ、2010
菊地達也『イスラーム教:「異端」と「正統」の思想史』講談社選書メチエ、2009
筒井賢治『グノーシス:古代キリスト教の〈異端思想〉』講談社選書メチエ、2004
大貫隆グノーシスの神話』岩波書店、1999
クルト・ルドルフ『グノーシス:古代末期の一宗教の本質と歴史』岩波書店、2001