「イランタブーの下のエイズ イスラム禁じる売春で拡大」『朝日新聞』11/3/11

 性的情報の抑圧が弱者へのしわ寄せとなる例。性暴力の被害者が、姦通罪で殺されたりしかねない状況はやはりおかしいよな…

 イスラム教国のイランで、性交渉を通じたエイズウイルス(HIV)感染が広がりだした。専門家は特に売春行為を介した拡大を懸念する。宗教上のタブーだが、身を売る女性はイランにもいる。そうした現実を見すえ、女性たちを守るNGOの取り組みが始まったほか、政府も控えめながら啓発活動に乗り出した。(テヘラン北川学


薬物中毒の男性から感染
 テヘラン南部の奥まった住宅街に、NGO「イラン家族計画協会」が運営する福祉センターがある。主に売春に携わる女性たちが、診療などで訪れる「駆け込み寺」だ。
 健康相談に訪れたエルハムさん(20)は、乳児の人形を胸に抱いて座っていた。16歳の時に産み、生後40日で生き別れた女児の代わりで、肌身離さず持ち歩くという。
 「いつも男の部屋を転々としているの」。あどけなさが残る顔で話す。一晩で40万リアル(約3千円)ほどの稼ぎがあるそうだ。
 8歳のときから、薬物依存症の父親にレイプされ続けたという。苦しみから逃れようと、刃物で左手首を何十回となく切りつけた。13歳のときに年上の恋人と家出し、年齢を偽って婚姻届を出した。だが3年後、女児を出産するや一方的に離婚させられ、子どもは夫に引き取られた。
 「実家には戻れない。ひとりで生きていくしかない」。HIV検査を受けたら「陽性だった」というが、それ以上は口をつぐんだ。
 センターで長男(1)の粉ミルクなどの支援を受けているマリヤムさん(25)は、2年前に感染の事実を知った。無職でヘロイン中毒の夫(38)との性行為が原因だという。資格を生かして看護師になりたいが、医療機関で働くには血液検査が必須。「雇ってくれるところはないかも」と求職活動を尻込みする。
 2009年7月に開業したセンターには、590人の女性が利用者として登録されている。その数は毎月20人前後のペースで増加。年齢層は14-50歳で、6割はHIVに感染しているという。
 心理相談員や医師が女性たちの健康状態を検査し、必要に応じて薬を無料で手渡す。エイズに関する知識や予防法などを教える一方、売春に頼らなくても生活できるよう、編み物などの職業訓練もしている。これまでに10入が売春をやめたという。
 診察室にコンドームを入れたかごがあった。希望する女性に、1度につき2個まで無料で配る。「彼女たちの収入源をいきなり断つこともできない。でも感染を広められても困る」。運営責任者のファティマ・レザイさん(38)は悩ましさを打ち明けた。
 政府が監督し、NGOが運営するこうした施設は現在、国内に10力所ある。今後1年で15力所に増える予定だ。


政府の啓発腰重く
 イランでは1980年代後半、輸血を通じたHIV感染が広がった。90年代半ばからは、同じ注射器で薬物を回し打ちした男性たちの間で感染が拡大。2008年以降、こうした男性から性行為を通じて売春婦や妻に移す「3度目の感染拡大期」(医療関係者)に入ったという。
 保健省の統計によると、国内のHIV感染者・エイズ患者は昨年9月時点で男性2万185人、女性1705人。男性の99%が薬物の回し打ち、女性の56%は性交渉による感染だった。ただ、把握できていない感染者も推定で6万人いるといわれている。
 「放置すれば感染者は10万人を超える。特に若者は性モラルを守り、危険な性行為は避けてほしい」。バヒドダストジェルディ保健相は昨年11月末、地元メディアでそう警告した。
 ただ、厳格なイスラム教国イランでは、売春婦が存在するという「現実」をおおっぴらに論じることは宗教の価値観に抵触する。啓発活動をすべき政府の腰も重い。
 国営テレビは昨年10月、アニメを使った啓発コマーシャルの放映に初めて乗り出した。顔に斑点のあるキャラクターが「私はエイズですか」と尋ね、医師が「病院で検査を受けましょう」と促す内容だが、エイズとは何か、なぜ検査が必要かといった説明はない。
 それでも、昨年12月の世界エイズデーに合わせて放映された討論番組では、性交渉で感染した女性も出演。コンドームを使った感染予防策などを話し合った。国連エイズ合同計画イラン事務所のファルダッド・ドルーディ所長は 「政府も現実に即した対策を少しずつ進めている」と評価する。
 「息の長い啓発を続けて欲しい」。HIV感染者で芸術家のメフディ・パルサさん(35)は政府に期待する。背中に入れ墨を彫ったことが原因で感染。04年に初めて感染の事実を公にし、学校などでの講演活動に取り組んでいる。
 パルサさんは肺の調子を悪くして入院した際、感染を知った医師に治療を拒まれたことがあったという。HIVが空気感染すると思う人も多く、「誤解や偏見を断ち切るのが自分の使命」と考えている。