「脱原発」はなぜ可能になったか 吉田徹

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 ドイツの脱原発政策を可能にした背景を、エネルギー政策の歴史と政治構造の二点から解説している。環境政党の存在と「脱物質主義的価値」の普及の度合いが、68年世代のその後の文化的ヘゲモニー問題などが指摘されている。ヨーロッパにおいて多様な政治的主張が存在し得る「民主的」な政治構造があり、逆に日本では民意をくみ取る機構が硬直化していると、私は読んだ。しかし、環境問題に関してはこういう政治や文化的ヘゲモニーに踏み込んだ議論ってあんまり見かけないような気がする。

政治学に「政治的機会構造」という考え方がある。これは社会のなかで一程の政治勢力が存在していても、実際に影響力を持つためには、さまざまな「機会(オポチュニティ)」を保証する構造がなければ、現実に影響を与えるまでにはいたらないという見方だ。この見方からは、ドイツの連邦制や小政党でも議会進出が比較的容易な選挙制度など、環境主義政党の影響力を担保する制度的が保証されていたといえるのである。

 この状況を見ると、90年代の政治改革と称する小選挙区制導入は最悪の選択だったのではないかと感じる。無理やり二大政党制を推進した結果、多様な民意を吸収する手段を失ってしまったのではなかろうか。