隈研吾・清野由美『新・都市論TOKYO』

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)

 WEB上の新・都市論ウェブ-TOKYOは読んでいたので、スルーしていたのだが、『新・ムラ論』が出たので買ってみた。対話が中心なので、サクサク読める。つーか、両者とも、ほとんどがWEB上で読めるんじゃね…
 東京のさまざまな再開発の場所を歩きながら、議論をしていく。汐留のダメさ加減、歴史性を自ら否定する丸の内開発と古い建物を残すことによる容積率ボーナスの話、六本木ヒルズの限界を突破しようとした挑戦性への評価と採算性への危惧、代官山の大地主による旦那芸の開発とそのブランド性に便乗する人々による破壊の危険、テーマパークっぽさの裂け目から「生のリアリティ」が吹きだす町田。
 しかし、こうやって読んでいくと、実は「建築家」っていらなくねって感じがするな。中目黒や町田をおもしろがっている隈研吾と東京や北京の大開発にかかわっている隈研吾には、明らかに矛盾というか、分裂があるように思う。むしろ成熟都市に必要なのは、さまざまな小ステークホルダー間の合意形成を図る「政治家」ないし「プランナー」、あるいは地域性や歴史性を生かして手を加える「デザイナー」の類なんじゃなかろうかと感じた。そもそも、最近の建築って、自己主張というか、形の奇抜さを優先しすぎて、あんまり好きになれないんだよな。
 あと、『スラムの惑星』で議論されるような、ゲーテッドシティや排除の問題、アメリカ風テーマパーク的郊外の氾濫なんかとつなげて議論することもできそう。六本木ヒルズなどの巨大開発には、一方で多様な人々を受け入れられない、排除の側面があるとは、本書でも指摘されているが、そのあたりの問題はあまり深く追及されなかったので。
 あと、この「新・○○TOKYO」って、なんとも石原慎太郎的ネーミングセンスで嫌だなと思った…


 以下、メモ:

 一九世紀の建築において、デザインは「建築様式」(例えばルネッサンス様式、バロック様式、テューダー様式)によってコントロールされていた。その様式は流行として移り変わってはいくが、一つの時代に建てられた建築は、おおむね一つの様式によってコントロールされている。
 しかし、二〇世紀半ば以降、様式によるこのコントロール機能は失効し、新しく建てられる建築はアンコントロールの時代に突入した。とりわけ、西欧の後を追い、ゼロから都市のすべてを立ち上げなければならなかった日本には二重の困難がが課せられた。遅れてきた近代化という歴史的与件と、可燃の木造都市を不燃都市に作りかえなければならないという物理的与件の二つである。p.16

 西洋型の都市という固定観念を外せば、別にゼロから立ち上げる必要もなかったような気がするがな…

 顔の見えない複数の投資家から集金するために必要とされるのは、創造性のある芸術家ではなく、すでにブランドとしてエスタブリッシュされた建築家である。投資家は芸術品に対しては投資しないが、ブランドに対してならば、それが多少割高とは知っていても、安心して投資する。かくして、世界の大プロジェクトは、少数のブランド建築家に独占されることとなる。。
 投資家がブランドに対して期待するのは、その建築の建つ場所、そこに伝わる文化に対するクリエイティブなレスポンスではなく、ブランドが確立してきた「お約束」通りのスタイルの、機械的な反復である。ディベロッパーは、彼らにスケッチ代を払って名前を借りようとする。なにしろブランドの反復が求められているわけだから、スケッチとサインがあればそれで十分なのである。ブランド建築家のラフなスケッチに基づいて、建築会社の設計部や大手の設計会社が実現可能なものにリライトするというやり方が、今や大プロジェクトでは定番である。p.22

清野 隈さんがここで超高層を設計するとしたら、統一感は意識しますか。
隈 そもそも「ほかに合わせたくない」というのが一般設計者の意識であり、また施主の意識でもあるものです。ビルのオーナーだって、そこで働く人だって、隣りと同じようなビルがいいなんて、思わないでしょう。
清野 ということは、統一感は意識しない、と?
隈 それが建築を作りたいと思うような「元気な」人たちの行動規範だったわけですね。p.86

 独立した芸術家/技術者としての「建築家」という職能は、もう存立不可能なんじゃないかね。ラフスケッチ提供だけの「建築家」なんて、もう建築家とも言えないと思うのだが。

清野 隈さんならどういう個性を追求しますか。
隈 ここは予算的な都合から、以前のブロック割りと同じ土地の割り方を基本にして再開発を行なっているでしょう。第1京浜側に古いコンクリートビルの街並みが残っていますが、あれを見ると「使用前」「使用後」がよく分かりますよね。
清野 かつての汐留駅の大貨物ターミナルを支えた運送業者たちのビルですね。何の変哲もないけど、いい具合にくすんでいる昭和30年代のグレーの小さなビル群。
隈 本来ならあれこそが汐留の歴史なわけですよ。同じお金をかけるなら、下手にイタリアなんて持ってこないで、あれらのコンクリートビルをリノベートした方がずっと面白いし、街区の個性が出る。だってあそこには昭和30年代の活気ある東京の記憶が残っているわけでしょう。その点で、日本人の歴史観の希薄さは致命的。土地の歴史というものは再開発に欠くべからざるもので、アメリカでは、あのドナルド・トランプでさえ、トランプ・タワーの後、古いビルの改装を手がけて歴史をうまく利用しているんです。
清野 つまり古い建築の「歴史」を継承することは、長い目で見ると利益になる、と学習しているわけですね。p.49-50

清野 うーん。確かに汐留タワーが青山にあったら、印象はずっといいかもしれません。ということは、やっぱり並べ方がひどいんですね。
隈 それこそが都市計画の不在なんです。最初にもいいましたが、今の日本の都市で行政、企業、政治の複雑な網の目をすくって、創造的であり、かつ多くの人たちに愛される都市を建設することは奇跡に近い。その困難は肌身に感じますが、突出したプランナーがいたら、日本の都市景観は全然違ったものになると思いますよ。長い歴史軸を以って都市をプランニングできる人材が、民間でも行政でもどこかにいてほしい。
清野 都市計画の関係者は日本の持つ特性を読み違えているとしか思えません。
隈 日本の都市の問題を、アメリカ流の金融テクノロジーに頼って解決しようとしていますからね。でも、日本の都市の与条件はアメリカよりも、むしろヨーロッパに近いものなんです。日本の都市は金融テクノロジーのような抽象的な手法によって解かれるべきではなくて、その土地に根ざしたリアルで泥臭い手法で解かれるべきなんです。日本人はヨーロッパ流の都市計画をもっと学んだ方がいいと思いますね。
清野 それは、都市の生み出す価値を「お金」ではなく、「個人の生活」に帰結させるような考え方ですか。
隈 そう。その価値観の転換がどんなに困難なことかも、今日歩いていて身にしみました。p.61-2

 いや、ウインズ汐留の写真を見たけど、あれは酷いね。
 しかしまあ、空虚な「イタリア風」に走るなら、元のストックのリノベーションの方が安くつく分良かったんじゃないかねえ。発展途上の分野の人々が集まるようになれば、活気は出てくるんじゃないかね。街並みの歴史に対するリテラシーのなさは異常としか言いようがないんだよな、本当に。
 後者のアメリカ流の金融テクノロジーに頼った都市開発よりヨーロッパに学ぶべきというのは、至極妥当なところ。ヨーロッパの方が、社会の「成熟」を半世紀ほど早く経験しているという点で、学ぶ価値はいくらでもあると思う。国の条件も近しいところが、検討の対象として適当。なんで、全く違う形の国であるアメリカをモデルにしようとか言い出すのかがわからない。

清野 今でもヒルサイドテラスと、それを設計した建築家「槇文彦」(注4)の名前は、建築科の学生にとってあこがれの的なのでしょうか。
隈 それは依然としてそうですね。
清野 理由は何なのでしょうか?
隈 建物がヒューマンスケールで、がつがつしていなくて品がいい。
清野 ほんの一言で終わりましたが。
隈 とんでもない。建築家にとって夢の世界、ユートピアですよ。p.144

 やはり理想はヒューマンスケールと…

隈 槇さんは過去、日本に存在したある階級の偶像にふさわしい存在です。ただし、彼らが実現したユートピアが、閉じたままのどかに完結することは、大衆化社会ではもう許されないんです。ヒルサイドテラスの建設は、代官山の歴史にとってまさに分水嶺でした。その建設によって土地のブランド力は飛躍的に高まったが、同時にそれが呼び水となって、後に街全体は凡庸な乱開発の餌食になった。戦後東京における二律背反的な宿命を帯びたプロジェクトの代表例。戦後民主主義の二律背反をそのまま表現した街が代官山だったといっていい。p.152

 うーむ。

清野 幹線道路からひとつ入っただけで、いきなり閑静な邸宅街になるのが、この辺りの特徴ですよね。坂道の上の方、つまり山の手エリアは邸宅が建ち並んでいますが、坂を下るにつれ、雰囲気はだんだん庶民的に変わっていきます。このコントラストが「街」ならではの面白さで、人工的な再開発では味わえないものだと、私は思うんです。
隈 ああ、ここにすごくいい家があるじゃないですか。
――と指差す先に、屋根や板壁、板塀が歳月にさらされた昭和時代の小さな木造平屋住宅。家も庭もそこはかなく侘びた気配がある。
清野 隈さん、今、これに激しく反応しましたね。汐留、丸の内、六本木ヒルズを歩いた時は、こんな反応はまったく起きなかったのに。
隈 だって、この家、すばらしいですよ。いや〜、今時、こんな家が残っているとは。要するにこれは白洲次郎の「武相荘」的なボロさ。どこを取ってもカッコいいと形容する以外にない、史上稀な人間が最終的な帰結として選んだ形ですよ。代官山より中目黒方面の方がずっと面白いじゃないですか(と、ずんずん歩く)。

 ここの隈研吾のテンションの上がりっぷりがおもしろいな。結局、こういう伝統的な建築そのものが理想なんだよな。そうはいっても、いま、そういうのを建てようとすれば、結構コストがかかりそうではあるが。

――和菓子店&茶房「HIGASHIYA」の前に来て。HIGASHIYAは、木造モルタルの2階建て家屋を改築した店舗。
隈 面白い店構えですねえ。ツタがからむモルタルの外壁は、廃屋感さえ漂っていて。駅前とは違う“仕組まれざる開発”がここに息づいている。
清野 ここは昭和時代にクリーニング屋さんの店舗兼住宅だったそうです。1階がお店で、2階が住まい。昔はそういう商店って多かったですよね。
隈 クリーニング屋という商売には、目黒川沿いという、土地の来歴を感じますよね。ヨーロッパに行くと、小さな川沿いにクリーニング屋をよく見かけるもの。
清野 1階が和菓子の売り場で、2階がカフェなんですが、2階の営業時間は、なんと深夜2時まで。バーとしてアルコールを出す夜でも、お茶と和菓子のメニューはそのままで、深夜になると、都心で食事を終えた大人たちが、ここでうっとりと羊羹なんかを食べているシーンを見ることができます。
隈 和菓子というところが先端なんだ。……へえ、和菓子を売るカウンターは鉄板でできている。しかも一度錆びさせたものを、磨き直していますね。外観といい、内装といい、ここまできれいに汚くすることって、なかなかできないことですよ。さり気なく見えて、ものすごく戦略的な店だと思います。ここはどんな人が経営しているんですか。
清野 「SIMPLICITY(シンプリシティ)」(注9)という空間デザインを中心にした会社のオーナー・デザイナーです。オーナー・デザイナーは69年生まれ。高校まで長崎県で育って、ファッション、アート、海外文化からデザインのセンスを吸収したそうです。朝倉財閥と槇文彦とはまったく関係のない文脈、世代から登場した、新たな街のカルチャーの担い手のひとりですね。
隈 いいですねえ。こういう「村化」の動きこそ、都市再開発で最も重要な要素なんです。ある時期、日本人は必死になって都市から「村」を排除してきたわけですが、それがきわまった時代には、逆に「村」が持つノスタルジーこそが余裕の証となります。「村化」の余地があるというこの1点だけでも、代官山界隈が東京の中では例外的に恵まれた土地だと実感します。
清野 ブランドとしての代官山があってこそ、カウンターカルチャーの中目黒も価値が出るわけですね。でも、どうして代官山はそれが可能なんでしょうか。
隈 東横線という、戦後東京の中流階級を育てた私鉄カルチャーがあればこそでしょう。沿線住人のライフスタイルが成熟して、その子供世代が次のカルチャーの担い手になった。だから今、90年代の規制緩和以降に、中流階級が消滅しつつある都心では、このような成熟の仕方ができなくなっているんです。

面白い都市とは「村化」した場所にこそある

清野 代官山のステータスを担い続けてきたヒルサイドテラスの現状については、どうお考えですか。
隈 ヒルサイドテラスもこれからどんどんボロくなって、村化していけばいいと思います。実際、いちばん古い第1期の建物が今、いちばん感じがいい。時代を経て変わったテナント、変わっていないテナント取り混ぜて、ここの歩みが建物の空気に刻まれている。第2期、3期と、時代が新しくなるにつれ、魅力は薄れていくもの。
清野 でも、その「村化」への評価を極めていくと、結局、建築家不要論に行き着くのではないですか。
隈 そのリスクは僕たち建築家にとってはあります。僕としては複雑な思いではありますが、けれど僕自身も振り返れば、昭和30年代の東横線沿線という「村的な場所」から育ってきたわけだし。p.157-160

都市とはそもそも相反し、矛盾するものが出会う場所だ。単一原理によって埋め尽くされた「村」と、都市との差異はそこにある。どうしようもなく相反するものに直面した時、都市は無意識的に斜交する。小堀遠州のような達人にたよらずとも、都市は無意識のうちに「隅掛け」し、「筋掛け」ているのである。45度に斜交し、さらに困れば22.5度に斜交し、斜交が無限に繰り返される。その産物として東京には、たとえば町田があり、秋葉原がある。いかに矛盾しようと、いかに分裂しようと、何も恐れることはない p.177

 上と下で、「村」って概念が矛盾しているような気がするが。後者で「単一原理で埋め尽くされた」と表現されているが、上の引用の文脈では、さまざまな構成要素がモザイク状に存在するようなあり方を指しているように思われる。
 あと、やっぱり「建てない」ことの方がいいように見えるのが、建築家の臨界を示しているように思える。

 ここで、建築史におけるバロック性について言及しておく。バロック性とは、小さな個人に、巨大な世界へと接続しえたという認識(錯覚)を与えるもののことである。バロック建築は、小さくて寂しい個人に、そのような一瞬の興奮を与えるために仕組まれた、巧妙な空間装置のことだ。そして、バロック的都市計画とは、その装置を都市スケールに拡大したもののことである。その頂点が、一九世紀半ば、ナポレオン三世の指導の下にセーヌ県知事オスマンによって実行されたパリ大改造である。p.170

 こういうバロック性って、現代では巨大建築より、少し小さめのスケールの方がうまくできそうな気がするな。路地と広場とか。

隈 まあ、人々の消費意欲が旺盛なのは、日本経済にとっていいことなんじゃないでしょうか。16号線のような眺めはそれこそ、全国どこに行ってもあるわけで。というか、いまや日本だけでなく世界的にグローバルな光景になっていますし。
清野 アメリカならわかりますが、ヨーロッパにもこんな眺めがあるんですか?
隈 これが、オーストリアにもたくさんあるんですよ。
清野 ハプスブルグ王朝のお膝元の? オーストリアの街並みって、ウィーンに代表されるように宮殿やゴシックの教会、石畳の小路という中世的なイメージが強くて、ロードサイドの光景なんてとても想像できませんが。
隈 あの国はスーパーマーケットの大資本と政治家が結託していて、ロードサイドにはそれらの資本による巨大な店がガンガン建っているんです。その意味で、政治的に保守的な国ほどロードサイドが発達するという逆説がある。そもそも本家のアメリカが、とんでもない保守そのものなわけでしょう。それが今や世界に及ぶようになっているわけです。

 郊外のロードサイド風景と保守主義。まあ、そうなんだろうな。

清野 一方で、東京、中でも特に東京の下町のノスタルジーを語る時、高度成長を境に街並みがダメになった、という論調をよく聞くのですが。
隈 僕はそう思いません。東京という都市をダメにしたのはその後にきたグローバリズムですよ。
清野 じゃあ21世紀に入ってから東京はダメになったということですか。
隈 いや、その前から確かにダメになっていましたが、本格的にダメになり始めたのは80年代。バブル以前から、土地の値段がグローバルな資本主義に連動し、そこから東京は土地代に縛られて閉塞していくんです。

 他の都市ではどうなんだろうな。

清野 でも部外者の解き放たれた発想って、住んでいる人にしては、とんでもない迷惑な場合が多いですよ。
隈 そもそも都市計画というものは、あらかじめ犯罪性を内包しているものです。詩的な表現を許してもらうならば、建築家が手がける都市計画とは、恋愛みたいなもの。ある場所を心から愛してしまったからこそ、罪を犯してしまう。だから、建築とは他者が行うことが宿命なんですよ。

 うーむ…