本当に溺死なのか――。死因に納得できず苦しむ遺族 戦場の被災地で法医学者が痛感した“検死”の限界 ――岩瀬博太郎・千葉大学大学院法医学教室教授のケース|3.11の「喪失」〜語られ悲劇の教訓

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 うーん、日本じゃなくても、あの規模の災害だとまともな検死ができるのだろうか。アメリカだった、ハリケーンカトリーナの時には、それほど優れていたようには見えないが…
 まあ、日本の法医学とか、検死の状況がお寒い状況なのは確かなのだろうけど。そもそも、平時にすら人員が足りないと言われる状況だし。そのあたりはもっと金をかけてもいいと思う。
 あと、6ページ目あたりで指摘されている防災のプロがいないという話。これは、阪神大震災の時から指摘されていることなんだよな。結局、官僚文化のなかで、居場所を確保することができなかった。中越地震なんかで、なんとか既存の体制でしのげたのが、逆に災いしたかんじではあるな。

「日本の検視・検案のシステムは、先進国のそれに比べると不備が多い。たとえばアメリカでは、災害時に移動式の解剖室で解剖することが可能な体制になっている。国として、そのような予算を設けている。

 しかし、今の日本では、自然災害や事故などで100人を超える死者が出ると、それぞれのご遺体の死因を判定することはもうできない。JR福知山線列車事故(2005年・兵庫県尼崎市)の際に行なわれた検案も、その意味では不十分だったのだと思う。

 現状はおそらく、災害時などに5人のご遺体を解剖し、死因を究明することが限界ではないか。死因究明制度の充実は、改めて考えないといけない。今後、我々が政府に提言をするなどして、働きかけをしていきたい」

 ここまで来ると、本当に情けないな…