阪本保喜・かくまつとむ『聞き書き 紀州備長炭に生きる:ウバメガシの森から』

聞き書き 紀州備長炭に生きる―ウバメガシの森から (人間選書)

聞き書き 紀州備長炭に生きる―ウバメガシの森から (人間選書)

 備長炭を焼く現役の焼き手である阪本保喜氏に対するインタビューをまとめた本。備長炭が高く評価されるのは密度の高い木であるウバメガシを焼くことによって、火持ちがよく、安定した火力を長時間発揮できることであるという。そのため、燃料としての木炭の需要が、エネルギー革命によってなくなったあとも、炭火で焼く料理のためのプロの需要によって、存続した状況。しかし、細くてある程度の長さのあるもの以外は、売れずに買いたたかれるのが現状という。なんか、いい使い方はないかねえ。備長炭は発電なんかにも向いていそうだが。まあ、あんまり大規模にやるとウバメガシの資源が枯渇しかねないし、難しいのだろうけど。あと、臭い消しなどの利用に関しての、木炭は燃やされてなんぼ、一年に一度程度しか買わない人相手では商売にならないといった意味の発言が興味深い。
 しかし、かつてはさまざまな樹種・品質の木炭が生産されていたわけで、今炭焼きをやっている人はそういう広い経験をもとに高い品質の製品を生産できる。それに比べると、ウバメガシの特定品質のものしか売れない現状は、幅ひろい経験を積んだ新世代の育成を不可能にするのではないだろうか。そう考えると、先行きは大変そうだな。海外からの安い炭との競争にもさらされるし。
 実際の炭焼きの手順も興味深い。窯で焼くところしか考えないが、実際には山で目的の木を伐り出し、輸送、加工して釜に詰めるまでの作業がかなりの部分を占めるという。あと、目に見えない釜の中を煙と臭いで見通すところとか。しかし、2007年の時点で木馬を使っているってのもまた。
 あと、戦前は木がある所に小屋を作って炭を焼き、木がなくなると別の場所に移動するということを繰り返していた体験の話。それが戦後は、自動車が利用できるようになって、特定の場所に窯を固定するようになったというのも興味深いな。炭焼き小屋に関しては、『炭焼きの二十世紀』でも扱われているが、どこも似たような感じだったようだ。


 以下、メモ:

 ひとつは、世界自然遺産に登録された屋久島や白神山地知床半島のように、植物たちの長い攻防ののちに安定した「極相林」の姿を、手付かずのまま残す方法である。
 それらの森が太古からの姿を保ってきたのは、伐採や搬出を行うには地形が険しすぎたり、生えている樹木に、労働に見合うだけの価値がなかったためだ。結果的に残った森ともいえるが、そうした原生的な森の姿が評価されるようになったのは、生態学という科学用語が一般化したつい近年のことである。p.12

 いや、実は日本列島で人間の手が入っていない森はないんだけどね。屋久杉なんか長年切られまくっているし。
 あと、この下りの後で、江戸時代の木炭経済がそれほど劣っていないと書いているが、江戸から明治あたりには、森林の相当の負荷をかけていたのだが。

 飯炊くときに、備長炭をひとかけら入れるような使い方は流行ってきたけどな。たしかに、炊飯器に入れたら、炊きあがった飯はうまいわ、わしとこでもやっとるよ。水道の水に入れても味がようなるで。
 けど、そんなんで捌ける量て、ほん知れたるよ。なんぼ備長が人気が出てきたいうたかて、それは昔の信用とは別の部分での注目や。わしら炭焼きとしては複雑やわ。やっぱり燃料として注目を集めんことには将来はない思うよ。炭ゃ、燃やしてもろてなんぼやさかいの。電気は炭の敵やいいやっても、わしらかて、もう炭では煮炊きも暖房もしとらん。電気中心の生活や。夏になったらクーラー全開よ(笑)。p.23-4

 最近、備長炭ブームやいうけど、わし、ブームという言葉は好きでないんや。叩くとええ音が出る、マイナスイオンがどうのというても、あんまりピンと来んの。そんな用途が広がっても炭焼きとしてはうれしいことないよ。そんなんは一回買うたら、次に買うのは一年先やろ。
 いちばん評価して欲しいのは「炊いたときにええ炭」という本質や。灰にしてもろてなんぼ。備長炭という炭が、いちばん活きるところで消費を広げる工夫をしていかんと、炭焼きの将来はないんと違うか。p.185-6

 新利用法の限界。

 それでもそういう山の木はのどから手が出るほど欲しい。やっぱりええ炭を焼きたいさかいな。もちろん腕を磨き続けたいということもあるんやけど、最近は問屋も厳しなって、ほんまにええ炭しか取らんようになってきた。備長炭は、完全に質の競争の時代に入って、もうええ炭焼く職人しか生き残れんのや。p.42

 一番いい部分しか使われない状況。

 土や砂粒を構成する鉱物粒子自体はかなり熱に強いが、かつて海底に堆積したときに混じったミネラル分が触媒になると、低い温度で溶け出す。その分岐点が、ちょうど紀州備長炭を精錬するぐらいの温度なのである。たとえば備前焼の土なども海成粘土の一種で、あまり窯を高温にすると器がゆがんだりふくらんでしまう。p.82

 そうすると、平野部の土の大半が適さないことになるな。

 野猿と木馬のリレーで林道の端まで持ってきたら、今度は三輪使うて窯まで運ぶ。この車、正式にはなんていうんかのう。わしら三輪、三輪いうとるけどの。
 エンジンは五馬力ぐらいの小さいもんやけど、一回で五〇〇キロぐらいは積めるの。軽トラより、ちょっと多い。今でもここら(和歌山)では新品で売りよる。蜜柑山とか多いやろ。小回りの利くさかい、山では軽トラよりも便利やな。というても、道幅はぎりぎり。たまに路肩崩してひっくり返すこともあるよ。軽いさかい、すぐ戻せるけどの。新型は三〇何万円かする、わしのは出始めくらいに買うたやつやけど、まあよう働くわ。元は十分とったやろ。p.112

 調べてみると、動力運搬車と称するものらしいな。三輪タイプの外に、キャタピラタイプとか、動力付き手押し車みたいなのもあるようだ。高いのは50万くらいか。本書で紹介されているのは、淡路の農民車みたいな感じだけど。こういうのが売られている。最後のがレトロな感じでいいな。
ウインブル製品案内・前引三輪車
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 阪本さんは何でも自分で作ってしまう人である。炭焼き職人も事業者。いかに生産コストを下げるかが採算性のカギになる。そのために真っ先に抑えなければならないのが外注費というわけだ。「炭焼きは割に合わない仕事」とぼやきつつも、これまで続けてこれたのは、大工仕事や土木作業、機械いじりでき、電気にもある程度通じた、典型的な昔の日本男児だからだろう。p.164

 確かに、昔の人はいろいろと造れたみたいではあるが。