白山通に面したところにある、わりあい大きな神社。交通の神様であるためか、九州産交による玉垣などが目立つ。あと、石碑の類が非常に多い。10/10に訪問。
鳥居
寄贈者が興味深い。台南から寄贈しているが、これは熊本の人が台湾で成功したのか、それとも台湾からも寄付を受けるほど信仰圏が広かったのか。交通の神様でもあるから、こういう交通用のものを扱う企業が寄贈するのは良く分かるが。
台南 富永自転車商会
明治三十七年八月三十一日建之
「輝神威」碑
なんかよく分からない石碑。「千花園」関係の石造物はやたらと多い印象。よく見ると、このあたり造園業者か花卉業者らしき企業名が多いな。
正面
輝神威
熊本市長坂口主税書
右面
千花園
熊本市議会議員
建設委員長 吉村真次
副議長
裏面
昭和参拾貮年拾月拾日
施工者 吉村軍紀
よく分からない石碑
字が読めません。上に文字は「奉納」でいいのだろうか。「植木町 関丞平 関伊之八」両氏によるものだとは分かるが、年代も不明。
錨
厳密には石造物ではないけど、記念碑の範疇として。「奉寄進」以下、何か書いてあるようだが、現地でも写真でも判読できなかった。神社の人に問い合わせればよかったのかね。だが、私はコミュ障…
海の神様らしい奉納物。
「御神殿復興記念碑」
「昭和二十四年十月建立」とある。この神社、戦災をうけたらしい。錨から一列に並んでいる石碑なのだが、他に文字情報がないみたい。裏に回ってみた記憶はあるんだよな。文字があったら、写真を撮ってるだろうし。
「日露戦役記念碑」?
肝心なところが隠されているから分からないんだけど、「明治三十七年十二月」と側面に彫られているように見えるので、日露戦争時と判断。しかし、それでは気が早いような気もするし。要再調査。まあ、傷みがひどくてなにがなんだかという感じではあるが。
祠堂由来碑
琴平神社の敷地の前、白山通との間に祠があるが、その由来を書いたものらしい。琴平神社の敷地はかつて、瑞応山善光寺という仏寺があり、明治初年の廃仏毀釈で廃寺となった。しかし、その寺院内に信州善光寺を開いたとされる本多善光を祀る祠があり、それは熱心な信者によって菅原道真公も合祀して、天満宮として維持された。で、大正にはいって、それを修理したって話のようだ。光の関係であちこち読めないところがある上に、文章の下が欠損しているので、どうも話が繋がっていないようだが。
裏面の醵金者の名簿は省略。そもそも逆光で全然読めないし。
→本田善光(Wikipedia)
往昔この別所の里には信州本多善光の建立にかかる善光寺瑞応山と称する寺院ありし
が一旦廃寺になりしを建武年中川尻大慈禅寺二十四世了室聖会和尚之を再建し明治
の初再び廃寺となり今の琴平神社の社域はその寺跡なり、此祠は即ち本多善光を祀れ
る所にして祠前の霊池は摂津の難波の堀○に○へしものといふされば里の老翁歳○て
の祭を怠らず信仰甚厚かりき慶応の末更に菅原道真を合祀して天満宮と称し奉り
の信仰を増し○○歳里の有志等相謀って同堂の修繕玉垣の建設を竣へ一層
○を○○○○○せり依て茲に其の由来を記して後世に伝ふこととはなし○
大正三年三月
「琴平神社御鎮座参百年祭記念碑」
なんで三を旧字体で書くかな。おざなりにしか撮っていなくて、年紀が見当たらないが、計算上は昨年、2011年にあったはず。後の石碑を見ると、三百年祭に際して、神殿まわりの瑞垣や拝殿回廊の改築を行ったそうだ。例によって、寄附者名簿は省略。
「善光寺歴代住職供養塔」
もともとはこちらが主だったのが、いつの間にか隅に追いやられていると。境内の東端にある集会所のさらに裏側にひっそりとある。それなりに清掃はされている感じだが。