和水町の郷土史研究家・平田稔さん(69)が、米ペリー艦隊来航を機に軍備の西洋化を図ろうとした熊本藩について調べ、「幕末熊本の軍制と銃砲」を自費出版した。
平田さんは「幕末に熊本で西洋流砲術を広めた藩の砲術師範・池部啓太を調べていたら、当時の軍の組織を知る必要に迫られた」と言う。4年前から全国各地で関連資料を探し執筆にあたった。
1853年のペリー艦隊来航当時、日本はやりや火縄銃などの武装だった。熊本藩はペリー来航後、約10年間、相模湾岸を警備し、洋式軍備の必要性を痛感。だが熊本藩の改革は守旧派の抵抗で進まなかったという。
それでも池部の指導や地元住民らの努力で玉名郡での洋式銃の開発、量産は成功。幕臣の高い評価を受けた。
平田さんは「幕末史に関心のある人に、時代の空気を感じてもらえたらうれしい」と話している。A4版、165ページで200部を発行(1部2100円)。(猿渡将樹)
メモ。県立図書館に入っているので、チェックする。