俵元昭『江戸の地図屋さん:販売競争の舞台裏』

 題名から江戸時代の地図販売業者や製作者を扱った本かと思っていたが、現在残されている江戸図の目録から、江戸図の発展過程やその背景を検討した本であった。江戸図の最終発展形態である切絵図を最初におき、過去にさかのぼる形で、江戸図の歴史を整理している。ただ、遡及する方向で記述したために、固有名詞が離れたところで出てきて、流れが頭に入りにくかった。あと、文章が読みにくい。特に、上から目線というか、自慢みたいな態度がちょっと。
 最初に「究極」の江戸図、切絵図が19世紀半ばに、荒物屋だった近江屋が、道案内のサービスのために作成した番町の住宅地図から発展し、尾張屋と近江屋金吾堂が競いながら出版していった状況。正確な測量による地図ではないが、歩いて武士の屋敷を訪問するのに適した書き方が実用性が高かったことを指摘する。
 続いては、18世紀半ばの宝暦年間にさかのぼり、切絵図の先駆的形態である吉文字屋板が非常に遅いペースで刊行された事。その吉文字屋板や江戸の大絵図を壊滅させた「新編江戸安見図」の出現。折本形式の安見図がその後70年に渡って市場を独占しつづけた状況。その前提として折本形式の道中図や地誌類の部分図の存在、さらに遠近道印が17世紀半ばに制作した「安見図」と呼ばれる図帳といった先駆的な形態が存在したことを指摘する。
 更に100年さかのぼって、18世紀半ばまで大絵図の時代を現出させた、全ての江戸図の祖先たる遠近道印制作の「新板江戸大絵図」が紹介される。明暦の大火を契機に測量によって制作された「正確」な江戸図。この地図の「北」は磁石が指す北、すなわち磁北を指している。この磁北は次第に移動していくものだが、他の江戸図も北は本図の時点の磁北にしたがっていて、改めて測量した形跡がなく、大枠は本図に依拠していることが指摘される。
 次章では更にさかのぼり、江戸のごく初期の地図、手書きで測量を行わずに書かれたものや、出版されていない行政資料としての江戸図、江戸のごく初期の状況を復元した回顧図などがとりあげられている。
 江戸の地図史としては興味深いんだけど、全体的に見て分かりにくい本であった。結局、予定よりも三日ほど遅延してしまったな。あと、参考文献は別にリストをつくって欲しかった。「前掲」と言われていても、遠く離れていて、探しにくい。


 以下、メモ:

 いきなり解った結論から言うと、突拍子もなく聞こえるかもしれないが、江戸の地図はかなり早く、きわめて正確に作られたものだったが、二五〇年かかって、不正確なほうへ変化変遷していったという、疑い切れないような驚くべき事実が、偶然が重なったこともあって、私の眼前に浮かびあがってきたのだ。
 そして、この不正確なほうへの変化が、実は発達の過程であって、究極に、歪みきったとみえるこの江戸の切絵図が、激烈な工夫と創意惨憺、さらに偶然の着想の結果として生れた最も優秀な地図となり、事実、それゆえにこそ、もっとも大量に市場に流通する結果を生んだことが証明されたのだ。p.7-8

 まあ、直線的な発展段階論を想定しなければ、別に驚くほどのことでもないような。現在だって、地形図や国土基本図と手書きの観光マップやイラストマップが併存しているわけだし。