産業道路から県営山の上団地に少し入ったところにある石碑。産業道路沿いには、旧第十三連隊本部正門が残されている。つーか、最初は歩兵第十三連隊の施設を、引き揚げ者の収容施設に転用したのが始まりらしい。戦時中と戦後で、石碑の意味合いが変わっている。
石碑本体の裏側の「熱河河北聖戦記念」以下の碑文は、半分以上読み取れなかったので、『熊本の戦争遺跡』を参照した。連隊長が鷲津大佐だったり、満州事変に動員されて帰還した後とおぼしきことから、1933-34(昭和8-9)年あたりのようだ。
しかし、以前来た時には周囲は花壇があったり生活感があったが、古い建物が撤去寸前なので、がらんとした感じになっているな。
石碑正面
皇威無窮
陸軍歩兵大佐 鷲津�汞平謹書
石碑裏面
熱河河北聖戦記念 昭和七年十二月十五日出動
昭和八年十月一日 凱旋
従事者 連隊長鷲津大佐以下千百二十七名
戦病没者
(以下、省略)
右側石柱
歩兵第十三連隊兵営跡
明治八年四月城内二の丸跡に創設
大正十四年五月此の地に転営
昭和二十年十一月大東亜戦争終戦により廃止
出征部隊はブーゲンビル島にて軍旗奉焼
左側石柱
此の碑は旧連隊本部東側営門の正面
に在り道路の障碍となり撤去のやむなき
に至る連隊縁故者相謀り永く後世に
遺さんとし第八師団施設大隊の協力を得て
旧位置の東北十六米現地に移す
昭和三十八年十一月
歩十三会