井口天神社の石造物

 津白橋からみると、周囲は火山灰に埋まって接近できないような感じだったが、近づくと、境内だけは土砂の排除が終わっている。復旧は大変だったのではなかろうか。もともと社殿はなく、神木と石柱が信仰対象だったようだ。




「日露戦役紀念碑」

 御幣で隠れているが、多分間違いないだろう。下の方には人命が彫ってあるようだが、現地では全く気付かなかった。裏面には「明治三十九年四月」とある。関係者の名前が刻まれているが、役職がしめ縄で読めない…


「由来碑」

 御神体の石の横に立っている石碑。これ自体が信仰対象と言っていいのか、御神体の横で由来を説明する役割なのか。



正面

天神七柱
地神五柱



裏面

  由来
天神社は応永元年十一月○日本年にて五八
六年前鍋島久大夫氏五穀豊穣村中安全を祈
願し鎮座
昭和十五年二月十八日鍋島金治氏鳥居奉寄
建立するも昭和二十八年六月二十六日白川
氾濫にて流失したので御神体鳥居を井口部
落氏子一同にて復元す
   昭和五十五年○月六日