近江俊秀『道が語る日本古代史』

道が語る日本古代史 (朝日選書)

道が語る日本古代史 (朝日選書)

 道路本三連発、二発目。古代の道路を、誰がどのような目的で建設し、維持したかという視点から、追及している本。先日読んだ『古代の道路事情』が歴史地理学的な方法論だったのに対し、こちらは考古学、さらに10年ほど新しいため、読んで興味深いのはこちらに軍配が。しかし、奈良県の土地勘がないといまいち、楽しめない感が。ネットの地図と首っ引きで読んだけど。
 第一章は風の森峠で検出された古墳時代の道路遺構の紹介。この道路が、古代豪族葛城氏の本拠地と海外との交通の窓口であった紀ノ川河口を連絡している道路の一部であったことを明らかにする。そして、葛城氏が権力を維持する上で、渡来人や海外の文物の流通ルートの占有が重要であったと指摘。さらに、葛城氏宗家が雄略天皇に滅ぼされた後は、紀ノ川に通じる道路が付け替えられることを指摘する。古墳時代に、これだけの規模の道路を建設・維持していたというのが驚き。
 第二章は、推古朝時代に奈良盆地・河内に建設された直線道路群とその建設意図。下ツ道・中ツ道・上ツ道や横大路、難波大道など、複数の直線道路が、これが外国へ国力を誇示する意図と同時に、同時に直線道路を建設することによって奈良盆地を合理的に再開発することを意図していたと指摘する。前者を聖徳太子、後者を蘇我馬子が主導し、その両者の一致したところで、あのような道路ができあがったと。この部分を読んでいて、聖徳太子って、朝鮮半島での敗北で失脚したんじゃないかなあと思った。
 第三章は天武朝時代、全国に建設された駅路の話。全国的に直線の道路を建設し、それを基準線に条理や郡・国衙などを配置していった、日本列島改造の意図を指摘する。このような列島改造をつうじて、中央集権的な国家を建設しようとして言った状況。ただ、この部分は、著者が関わった発掘調査が少ないせいか、いまいち生彩を欠く感がある。
 全体として、道路建設の意図を追求した結果、非常に興味深い話になっている。ただ、権力の「強制」の部分だけを論じて、「協力」の部分を見逃しているのが、残念に思う。このような再開発を行う場合、地域の有力者層はある程度、そのような建設事業によって利益を受ける。だからこそ、王権が維持できたのではなかろうか。そもそも、律令制が維持された時代を通して、関西周辺はともかくとして、全国的には古代豪族の地域支配が温存されたわけで、書類上というか、見た目上の改革に留まった部分は多いのではないだろうか。壬申の乱などを転換点としているが、社会的に言えば古代豪族から中世以降の武士につながる人々へと、地域支配の権力構造が転換していく平安時代の方がよっぽど大きな転換点だと思うのだが。


 以下、メモ:

 私たちの祖先は、自らの力で土地を切り開き、長い年月をかけて生活域を拡大してきた。そのため、機械による大がかりな土木工事が行われたことのない土地には、祖先たちの土地との格闘の歴史が、土地のかたちや区画となって、いまでも残っている。たとえば、古い川の跡は埋められても川幅や流れの様子などが土地の形として残る場合が多い。こうした痕跡は、全国各地で見ることができ、見慣れてくれば誰でも、地図や航空写真などから昔の地形や構造物を探し出すことができる。このような地表に残る痕跡や地名の分析に、文献や考古学的な成果の検討を加え、歴史の復元を行うのが歴史地理学である。道路のような、広い範囲にわたって敷設された構築物の復元には、この歴史地理学の研究方法が欠かせない。p.22

 まあ、この手の文化遺産といってよい痕跡も、くまなく破壊されようとしてるわけだがな…