- 作者: 宮本又郎
- 出版社/メーカー: メディアファクトリー
- 発売日: 2012/12/28
- メディア: 新書
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最初は幕末から20世紀初頭に至る長者番付を比較し、明治維新、松方デフレ、工業化といった環境変化によって、多くの企業家が消えていった状況を指摘。企業家の形態を、旧商家・ベンチャー企業家・技術者・社会的企業家・財界リーダーのカテゴリーに分け、代表的人物を紹介している。「ベンチャー企業家」が人数が多いが、明治維新後、政府にうまく食い込んだ「政商」といったほうがぴったりくるような気がするな。まあ、その後、生き残って、企業を大きくしていったのは才覚なんだろうけど、最初に巨大な資本を政府から引き出したことが、大きな商売を展開する元手になったことは疑いがないしな。
あと、第五章の技術者出身の企業家に関しては、大阪の紡績業を実際に経営した山辺丈夫・菊池恭三を紹介しているが、これって、専門経営者の先駆形態って感じも。
最後のまとめで、明治時代の企業家たちを武士・商人・農民の中間的な地位にいる「限界(マージナル)階層者」が主流を占めると指摘するが、これについては納得する感じかな。武士階級では実務官僚層、平民階層からは上層の名望家出身者が主体な感じ。在地の名望家が供給主体な感じだ。
渋沢栄一と五代友厚を挙げた「財界リーダー」型のカテゴリーも興味深い。どちらかというと、ビジネスインフラの組織者・オピニオンリーダーって感じだな。経済団体や取引所の設立、交通インフラの整備、株式会社システムの導入ってあたりに。
以下、メモ:
明治日本の経済発展はしばしば「上からの資本主義」として語られます。しかしながら、政府の役割を過度に強調してはなりません。明治期の官営工場の多くが失敗した一方で、明治の主導産業であった綿紡績業と製糸業は民間企業として発展しました。やはり発展の基本的なエンジンは民間の企業家たちのチャレンジとイノベーションにあったのです。p.10
基本的にはそうだよなあ。
「一般に、遅れて近代化にスタートした国ほど、先発国が永年かかって開発してきたいろいろな技術や制度を借用できる環境にあるから、発展のスピードは先発国より速くなる」
これはアメリカの有名な経済史家A・ガーシェンクロンという学者が述べた説で、「相対的後進性の有利性」と呼ばれるものです。しかしながら、先進国側に供給できる技術や制度が存在していても、後進国がそれを受け入れ、わが物として定着させることができるかどうかは別問題です。それを実現するためには、外からの刺激に速やかに適応する能力がその国に備わっていなければなりません。幸いに明治期の日本では、その条件がかなりの程度整っていたのではないか、と、私は本書の冒頭で指摘しました。p.174
こういうのって「発展」をどう見るかが問題なような気がするな。
欧米列強の経済的圧力のなかで急速に近代化を図らねばならなかった後進国・日本にとって、合本制度、とりわけ株式会社制度は適切な資本調達法でした。というのは、鉄道・紡績・銀行・保険・製糖・製紙・電灯など西洋から移植する産業のほとんどは大資本を要し、かつ高いリスクを覚悟しなければならない事業だったからです。単独でそれを賄い得る個別資本の成長は遅れていましたし、それが可能かもしれない旧都市商人(豪商)には、高いリスクを背負う勇気がありませんでした。近代工業部門に大量の資金を一気に投入しようとすれば、株式会社制度に頼るほかなかったのです。
しかし、その実現は必ずしも容易なことではありませんでした。まず、江戸時代には株式会社組織がありませんでしたから、人々にその仕組みを理解させる必要がありました。渋沢が『会社弁』や『立会略則』などの会社に関する啓蒙書の出版に熱心であったのはこの理由からです。
第2に、資本主義の遅れゆえに「人脈」に頼らざるを得なかった点があります。
本来の株式会社制度は、当該企業の事業内容や収益性などについての情報が市場を通じて投資家に公開され、投資家はそれに基づいて投資するか否かを決定するシステムですが、投資市場が発達していない段階で株式会社制度を急速に導入する必要があった明治の日本では、この方法を採ることが不可能でした。結果として、発起人の縁故と信用にフルに依存する「非市場的方式」で株式資本を調達しなければならなかったのです。いわば寄附集めのように、「奉加帳」方式で募集しなければなりませんでした。p.182-3
そもそも取引システムが存在しなかったのは確かなんだろうけど、同時代の欧米で、きっちりと企業の情報が公開されていたのか怪しい気もする。欧米の企業って、割と個人商店っぽい感じが大きいような。割と、こういう縁故での資金調達は多かったんじゃないかね。
まあ、明治前半の日本で近代工業のような大資本を必要とする事業に、個人の信用を通じた資金集めが必要であったのは確かなんだろうけど。
そもそも、現代につながるような企業は、日本でも欧米でも、創業時期はあまり変わらないような気が。