細野昭雄『南米チリをサケ輸出大国に変えた日本人たち』

南米チリをサケ輸出大国に変えた日本人たち―ゼロから産業を創出した国際協力の記録 (地球選書)

南米チリをサケ輸出大国に変えた日本人たち―ゼロから産業を創出した国際協力の記録 (地球選書)

 現在は世界有数の輸出国となっているチリのサケ養殖業の草創から発展、それに果たしたJICAなど日本の支援機関の役割を検証した本。経営学・経済学的な観点から分析されているけど、ちょっと物足りないような気がする。大まかに言って、200カイリ水域によって失った北太平洋のサケ資源の代替供給先として、日本が技術移転を行ったように見える。このあたり、JICAがなぜチリのサケ放流事業を支援すると決定したのか、その意思決定過程。また、チリ側もかなり組織的にリソースを投入してきたように見えるが、その意図が奈辺にあるか。そのあたりを追わないと、単純な成功例を誇示するだけにしか見えないような気がする。もともと、サケがいなかった場所に導入しようという発想はどこから出てきたのか。あと、環境の面からすると、自然環境への外来種の人為的導入、さらに養殖の飼料として魚粉需要の増大といった影響が予測できるわけだが、そのあたりの言及もほしかった。特に飼料用の魚粉は、チリからの魚粉輸出が減少するという形で顕著に影響しているが、漁業資源への圧力はどうなっているのだろうか。
 チリのサケ養殖産業の発展に関しては、日本/チリ・サケプロジェクトを中心とした長期的な技術支援、それが適宜必要な技術を提供したという点で、国際的支援の成功例として評価できるとは思うが。これも、チリ社会側の地力の賜という感じもするな。チリ側カウンターパートのサケ養殖に関わるまでの、学歴・経歴などの分析は必要なのではないかと思う。
 まあ、全体として、チリにおけるサケ養殖業の発展の歴史を比較的平易に読める本だとは思う。

 以上のように見てみると、チリのサケ養殖産業の発展期の初期においては、チリ財団と並んでJICAとIFOP、JETRO日本水産ニチロ、買付けや対日輸出をおこなった日本の民間企業など、日本の官民の貢献が大きかったことがわかる。サケ産業の自律的発展を確実なものにするうえで重要な3つの課題のいずれにも。強くかかわっていたからである。
 その意味で、「チリのサーモン養殖産業が独り立ちするには、日本がきわめて重要な役割を果たしてきた。きっかけは1969年に開始されたJICAの孵化・放流事業協力である。それ以降、官民そろっておこなわれたサポートがこの産業ベースの構築に大きく貢献した」という、長く中南米との貿易に携わった三菱商事の工藤章の指摘は正鵠を射ている。p.80

 資本の投入という点ではどうだったんだろうな。サポートというよりは、日本の水産企業が育てた感があるよな。今でも、重要な市場なわけだし。

 チリ産の魚粉は、チリ南部の都市コンセプシオンを中心とする地域と、北部のイキケを中心とする二つの地域で生産されている。
 サケの養殖には主としてコンセプシオン周辺で生産される魚粉が使われる。ここで生産される魚粉は、アンチョビ(カタクチイワシ)中心のペルー産と異なり、フレル(アジの一種)、サルディーナ(イワシの一種)、メルルーサ(タラの一種)が原料として用いられる。
 チリは重要な魚粉の輸出国であり、サケ産業が発展するまでは、魚粉をそのまま輸出していた。1991年当時、サケの輸出額は、チリの水産物輸出全体の14.2%にすぎず、魚粉がチリ最大の水産輸出品だった。それが、2008年にはサケが58%と増大し、魚粉は12%に低下した。魚粉とサケの地位が逆転したのである。
 その最大の要因は、サケの養殖に魚粉が餌として使われたことである。このことをよく示しているのが、サケ養殖に使われる高品質のプライムと呼ばれる魚粉の、魚粉総生産に占める割合が、1990年代初めには30%だったのが、今世紀に入るまでに70%以上になったことである。2002年には、チリ産プライム魚粉の95%がサケの餌用として生産されていた。
 言い換えれば、チリはサケ産業の発展によって水産物輸出の付加価値を大きく高めたということができる。つまり、価格の低い魚粉をそのまま輸出せずに、国内でサケの餌用に加工して養殖に用いることで、付加価値を高めたのである。魚粉の直接輸出ではなく、養殖サケを通じての間接輸出という構造に転換したのである。p.103-4

 チリ産魚粉の需要構造の変化。飼料原料の魚の資源状態はどうなっているんだろうな。

 ノルウェーは海面養殖では先んじてはいたが、1970年代の生産量は少量にとどまっていた。佐野雅昭の『サケの世界市場 アグロビジネス化する養殖業』(2003)によれば、養殖のライセンス制度が導入された時点では、経営規模は零細で、ライセンスも地域住民に限定され、零細経営保護のため1経営体当たり1ライセンスに制限されていた。しかし、1980年代末から1992年に規制改革をおこない、ライセンスの所有を地域住民以外にも開放し、所有できるライセンス数も自由になった。これによって、養殖業の規模の拡大がはじまり、それに適した技術開発が進んだ。この経緯については詳細な研究を佐野がおこなっている。p.111

 ノルウェーの養殖のライセンス制度。やはり零細経営では限界があるのか。しかし、魚を大型の真空ポンプで収穫するってのがすごいな。

 地元経済への影響は、養殖産業の約8割が集中しているロス・ラゴス州でとりわけ顕著だった。養殖産業の残りの大部分はアイセン州に集中している。
 ロス・ラゴス州では、1992年までは人口の減少傾向にあったが、1997年から2002年には純流入に転じ、この間、人口は13%増加した。特に州都プエルトモントの人口は、1992年から2002年に35%も増え、17万5000人となった。その結果、プエルトモントは「チリの養殖産業の首都(カピタル・デ・アクイクルトゥーラ)」と呼ばれるようになった。p.131-2

 サケ養殖産業の地域経済に対する影響。減少傾向だったのが、増加に転じたというのはすごい。一方で、都市と漁村の格差、漁村の貧困問題は解消されなかったという事実も指摘されている。その点では、恩恵は特定階層に集中したと言えそう。資本集約的な産業のようだし。