「明治天皇臨幸碑」

 水前寺公園の入り口前にドカンと建っている金属製の碑。昭和7年にもなってから記念碑を建てているが、これは二本木の同名碑と同様。この時期に、何らかの運動があったのかね。明治5年の行幸の時のものという点でも、同じ。6/17到着、18日に新町の行在所に移動、19日に水前寺公園で納涼、20日に県庁訪問というスケジュールだったようだ。
 あと、こういう銅の記念碑が、戦時中の金属供出の対象にならなかったというのも興味深いな。

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右銘盤

成趣園は往昔藩主の苦
心経営せし所翠緑常に
地に滴り池水永に清冽
たり加ふるに泉石布置
の妙を得洵に天下の名
園たるに恥ちさる也
明治天皇曾て西国巡幸
の途次を以て炎暑の玉
塵を此の水境に払はせ
給ひしこと故なきに非
す○に聞く之の日
天皇酔月亭に坐して涼
を掬し漁夫の網中羣魚
の溌剌たるに興しつつ
上る所の供御を嘉し給
へりと是実に明治五年
六月十九日の事に属す
惜むらくは其の亭も亦
丁丑の兵災に罹りて悉
く烏有に帰せり而して
碑側の古今伝授の間は
畧其の故阯たるに○幾
からむ歟
 昭和七年二月十一日 明治天皇聖蹟光揚会