「元田永孚先生誕生地碑」

 県民百貨店の建物の南面にひっそりと建っている石碑。辛島公園の駐輪場から県民百貨店の方に歩いたことは何度もあるけど、こっちの方に視線を向けたことはなかったなあ。このあたり通るときは、電車通りを通るしな。
 教育勅語の人。実学党のなかでは割と大身の口だな。
 しかし、読みにくい感じが多いなあ。石碑を見て回るようになって、漢和辞典を繰る頻度が上がった。県立図書館蔵の「元田井上兩先生誕生地碑竣工記念」のプロマイドのようなもの?の包み紙の碑文を参照した。




台座正面

明治の功臣甚だ多しと雖
も就中文勲第一と称せら
るる者を吾が元田永孚
生と為す先生は文政元年
十月一日熊本城下山崎町
に生る安政五年家督を継
ぎて大目付の職を奉じ後
屡累進して側用人兼奉行
と為る而して此の地は明
治元年城東大江村に隠棲
するに至るまで先生五十
年間の居宅なる明治三年
再び盧を出で明年藩公に
召されて上京す先生既に
西帰の志あり偶知友先生
を 明治天皇の侍講に推
さんと欲す固辞すれども
可かず五年五月宮内省
仕を拝命し爾来二十年蹇
蹇匪躬啓沃輔導す若し夫
れ 勅語発布の献替に至
りては敢て贅するを須い
ずに十四年一月二十二日
没す年七十四前日特に華
族に列し男爵を授けらる
本会邸趾の湮滅を虞れ碑
を建て聊か先生の行歴を
書して以て長へに景仰す
る所あらしむ
 昭和十四年二月
     熊本県教育会