平岡昭利『アホウドリを追った日本人:一攫千金の夢と南洋進出』

 明治から大正にかけて、太平洋の島嶼に日本人が進出したのは、アホウドリの羽毛が生み出す富があったこと。南洋進出の影には、数百万羽というオーダーの撲殺されたアホウドリの血がこびりついていることが明らかにされる。一般向けの書籍としては、似たようなネタの『地図から消えた島々』に先を越された感はあるなあ。メインとするところは違うが、登場人物なんかはほとんど重なる。『地図から消えた島々』が、本書の著者平岡氏の研究を参照しているところが多いんだろうけど。
 玉置半右衛門や水谷新六といった実際に南洋に出て行って大儲けした人々。それを支える榎本武揚志賀重昂といった人脈。一方で、高給ではあるが、危険と隣りあわせで、引き合わない実際の出稼ぎの人々。火山の爆発や補給の不安定による病死などリスクは高かった。ミッドウェー諸島での置き去り事件なんか、ひどいな。
 また、アホウドリを撲殺して羽毛をとるという略奪的な活動は、短期間で島の鳥を殺しつくし、資源が枯渇するため、次々と新たな島を求めて、利権の争奪戦となる。大東島諸島や尖閣諸島南鳥島といった島々が日本領に編入され、現在に至る。また、鳥の羽毛で稼ごうとする人々は、さらに外に進出し、太平洋を西進してきたアメリカと衝突する。南鳥島では、あわや衝突の危険があった。また、ミッドウェー諸島などの島嶼には、日本人密猟者が進出し、羽毛の採取が行なわれた。これに対抗するべく、アメリカはミッドウェー諸島鳥獣保護区に指定するなど、摩擦が起こった。東側では、日本人は東沙島や南沙諸島に進出し、清・中華民国との摩擦を引き起こす。
 19世紀から20世紀に代わる頃になると、南洋で得ようとするものが変わってくる。肥料や化学製品の原料となるリン鉱がメインとなり、資本を大量に投下できる企業が前面に出てくる。サンゴ礁が発達し、利用しにくかった南沙諸島への進出も、リン鉱が目的だった。また、第一次世界大戦のドイツ領南洋諸島占領にも、リン鉱を産出する島への野望があったという。「南洋」の位置づけも、戦略物資が出現するにいたって、ずいぶん変わったのだろうな。


 19世紀末から20世紀初頭にかけて、大量の鳥の羽や剥製がファッション用として輸出されたというのも、今となってはピンと来ない状況だな。最大では、年間1000万羽近くって、想像もできない。1世紀前の日本では、鳥の数も相当少なくなったりしたのかね。
 美しい小鳥は、剥製にされて、貴婦人の帽子などを飾ったらしい。今やったら、ものすごい勢いで動物愛護団体につるし上げられそうな流行の姿だな。こんな感じらしい→帽子用鳥の剥製 友くんのパリ蚤の市散歩
 統計書に記録されている以上の鳥が、フランスなどへ向けて輸出されたこと。野鳥の保護の気運から、統計書に項目がなくなった経緯なども興味深い。


 以下、メモ:

 かつてドイツの法・政治学者のカール・シュミットは、『陸と海と――世界史的一考察』という本の中で、人間の海洋進出の契機としてのクジラの重要性を説き、地球という空間に海洋を取り込んだ活動、いわゆる「空間革命」を演出したのは狩猟者であり、「鯨が彼らを大洋へと誘い出し、海岸線から解放したのだ」「鯨というものが存在しなかったら、漁夫たちはいつまでも海岸にしがみついていたのであろう」と指摘したが、長い鎖国から解放された明治期、日本人は小さな船を操り、数々の危険を冒し、大海原を越えて太平洋の無人島へと進出した。
 その目的はアホウドリの捕獲であり、採取した羽毛は、世界市場、とくにヨーロッパ市場できわめて高値で売買された。そのことを早くから認識した日本人は、その生息地の無人島を探し求めて奔走することになり、「海の時代」が到来したのである。p.31-2

 北米やシベリアのヨーロッパ人による占有を含めて、「狩猟者」の世界史的重要性は大きいよなあ。

 服部時計店(現・セイコーホールディングス)が、アホウドリと関わりがあるとは驚きであるが、創業は輸入時計商から出発しており、貿易に精通していた服部金太郎は、鳥類の羽毛が高値で売買されることを、十分に認識していたものと考える。のちに服部は南洋協会の評議員も努め、その後も南洋と関わりを持つことになる。p.132

 南洋のアホウドリ貿易にはいろいろな人が関わっていたと。