- 作者: 新之介
- 出版社/メーカー: 洋泉社
- 発売日: 2016/05/26
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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メインは、中心部にほど近い上町台地。北端の大坂城周辺からはじまって、南は堺まで。あとは、大阪平野東縁の石切・柏原、北の千里丘陵、船場・梅田・十三といった低地など。
上町台地は、難波京や大坂本願寺、豊臣・徳川の大坂城と、建設活動が繰り返された結果、自然の谷が埋め立てられ、痕跡程度しか残っていない。そもそも、大坂城の堀は、自然の谷を利用している。あるいは、粘土層の上に礫岩層が乗っているために、地下水が豊富で、大阪城の堀も雨水と湧水でまかなわれているのだそうな。また、各所に名水が存在する。大阪城に豊富な水があるということは、基盤の粘土層は、北側が下に傾斜しているということだろうか。
豊臣大坂城は、惣構や城本体が、徹底的に破壊・埋め立てられ、痕跡を辿るのも難しい。しかし、それでも、惣構の堀跡や真田丸は、ある程度地形から推測できる。そして、旧外堀近辺のくぼ地が、瓦用の土を採取するために、その後、掘られたという話にちょっと驚く。どれだけ、掘っているんだ。それだけ、需要が大きく、また外部にも移出されていたってことなんだろうな。焼くための燃料はどこから来ていたのかも気になる。
あとは、下船場に飛行場があったという話や淀川の河川改修に伴う旧流路、昆陽池陥没帯とか、いろいろ興味深い。水車の本で石切の辻子谷が紹介されていたが、本書でも紹介されている。生駒山地山麓の扇状地は、なんか、巡り甲斐がありそう。しかし、起伏を考えると、自転車向きじゃないんだよな。
以下、メモ:
上町台地は、後期更新世後半に隆起してできた台地で、南から北に向けて緩やかに傾斜しており、北端近くの難波宮跡公園の辺りの標高は23mである。上町台地の地下深くには、活動を起こすと東側が隆起する逆断層の上町断層帯がある。上町台地の西側が急崖が続いており、昔から断層崖ではないかといわれてきたが、調査の結果、それらの崖は海の波によって削られた波食崖であることがわかり、活断層の位置は上町台地西側にある東横堀川辺りであることがわかった。活動周期は約8千年間隔で、最も最近の活動は約9千年前だと考えられている。大阪には都心の真ん中にいて欲しくない断層があるわけだが、上町台地が生まれたのは、この断層があったからでもあるのだ。p.24
実に嫌な話だな。すぐにも、大阪直下で大地震が起きかねない。地震対策は喫緊の課題というわけか。壊れやすそうな家がたくさんあるしな。
津波というのは沖から波が来るというだけではなく、海辺近くの海底などから吹き上がってくることもあり、海辺の田畑にも泥水が吹き上がることもある。今回の地震で大和の古市では、池の水があふれ出し。家を数多く押し流したのも、これに似た現象なので、海辺や大きな川や家のそばに住む人は用心が必要である。p.67
「大地震両川口津波記」石碑の碑文の現代語訳の一節。津波による船の破壊だけではなく、液状化現象やダムの決壊といった、現代でも起こっているようなことも言及されているのだな。興味深い。